衛瓘の娘。
晋皇帝・司馬炎は元々、太子である司馬衷の妃としてこの衛氏を迎えるつもりであり、
「衛瓘の娘(衛氏)は美点が五つ、賈充の娘(賈南風)は欠点が五つ。
衛氏は賢く家には子が多く、美人で背が高く、肌は白い。
賈氏は嫉妬深く家には子が少なく、醜女で背が低く、色が黒い。」
と強く推薦していたほどだったが、賈充派の執拗なゴリ押しによって司馬炎も折れてしまい沙汰止みになっている。
衛瓘が賈南風に冤罪を着せられて謀殺された後、
衛瓘の娘が父の名誉回復を中央に嘆願し受け入れられたとの記録があるが、
嘆願を行った娘がかつて司馬衷の太子妃候補であった女性と同一人物かどうかは不明。