卑弥呼の養女にして後継者。
卑弥呼の死後、邪馬台国は男王を立てたものの支持が得られず内乱状態になったため、
13歳の若さで女王に就き、魏から派遣されていた役人・張政の教えを受けつつ国を安定させている。
内乱が治まると、張政が魏に帰ることになったので部下を派遣してこれを見送っている。
その後は魏や晋に朝貢の使者を送ったということが記されている。
尚、名前については魏志倭人伝において邪馬台国が邪馬壱国と記載されていることから、
壱与の名も本当は台与(とよ)だったのではないかという説も存在する。
卑弥呼が「親魏倭王」の称号と金印を魏から授かったことは「魏志倭人伝」に記されているが、
当の金印はまだ発見されていない。
中国では王朝交代の度に、周辺異民族に忠誠を誓わせる意味で旧王朝から与えられた印を返還させ、
代わりに新しい印を与えていたため、もしかしたら「親晋倭王」の印を授けられたかもしれないが
想像の域を出ない。