孫策・孫権軍の武将。揚州呉郡の出身で、孫策の挙兵から従ったとされる。
あまり元々の身分が高くない人物だったのか、親や字は不明で、孫策に仕える以前の事績も見当たらない。
しかしその武勇・胆力は本物だったようで、孫策軍ではいつも先鋒を務め、永平県長・破賊校尉にまで出世している。
黄祖討伐において戦死した時も孫権軍の先鋒を務めていたとされ、まさに最前線一筋の生涯を送った猛将。
正史において、甘寧伝では甘寧に射殺されたとあるが、淩統伝では流れ矢に当って死亡とされており、情報が錯綜している。
とはいえ、こういった記述の差異は正史ではさほど珍しいことでもなかったりする。
機種依存文字の都合からか、偏がにすいの「凌操」と表記されることが多い。