劉表に仕えた荊州豪族の一人。
演義では蒯越の兄とされているが、史実においてそのような記述は無い。
史実では穏健派とされ、劉表が尋ねてきた賊の対応策について「武力ではなく仁愛をもって統治すべき」と答えるが、
劉表はこれを却下して策を以て討伐すべしという蒯越の進言を採用している。
一方で演義では強硬派の軍師として登場し、反董卓連合軍解散後に孫堅が侵攻してくると、
独断で挑み破れた蔡瑁の処断を主張したり、黄祖の身柄と引き換えに孫堅の遺体を要求してきた孫策について、
黄祖を見殺しにしてでも孫家を滅ぼそうと進言したが、どちらも却下されている。