劉表、曹操に仕えた荊州豪族の一人。楚漢戦争で韓信の知恵袋として活躍した蒯通の子孫だという。
演義では蒯良と兄弟とされているが、史実では両者の関係について特に記述はない。
元々は漢の廷臣だったが、宦官誅殺を躊躇う何進に見切りをつけ、劉表に従う事となる。
荊州刺史として赴任した劉表に、地元で暴れまわっていた賊の対応策を尋ねられると
「平時は仁愛に満ちた統治をすべきだが、乱世においては策謀も必要である」
と答え、賊の討伐に協力している。
劉表の死後は跡を継いだ劉琮に曹操への降伏を進言し、自身も取り立てられる。
曹操からは「荊州を得たことよりも異度を得られたことのほうが嬉しい」と実力を評価されている。
しかしそれから5年余りで死去してしまったためか、曹操配下としてはこれといった事績が無かったりする。
演義では劉表が劉備から譲ってもらった馬が凶馬「的盧」であることを見抜き、劉備に返すよう進言。
また蔡瑁の劉備暗殺計画に難色を示すも、蔡瑁が劉表からの命令を装ったため渋々協力するという描写もされている。