『新選組!』第二回、多摩の誇りとは
えーと、人を斬ってしまいましたよ、初めてだー、という回です。
≪新撰組≫の話だと思ってると、こーゆー展開って詰まらんのかもなぁ、とか今思いましたが、こんな話になんの意味があるのだろうかと得々として語る人がいたよーな気がしないでもないです。なんか脳裏に浮かぶ。
勝太? 勝五郎?
近藤勇さんが、、、って皆てんでばらばらに呼ぶなよっ。
私がソレに苦痛かっつーと、んなわきゃないです(ばらばらでなく)。
だって私には、大河に求めるものも、時代劇に求めるものも、剣戟に求めるものも皆無だからです。「人を斬る」ことの意味を描いて欲しい、という意味でもない。
剣戟の本来の意味、であってもそれなりに評価が出来るでしょう。
求めるものがないというのは、それを嫌うということとは一線で違いますかと。
そーいう人間の目で、この展開が「無意味」と判断することは。
なんつーのか意味がないなぁ、というふーに思わんでもないです。
『新選組血風録』1、2話しか私見たことないもんで(小説も読んでない)、またそちらを引き合いに出しますが、そちらは元が司馬遼太郎さんの短篇集、わりとぱっぱら時間が飛ぶらしーですが結成前なんてのも見てますが。
私たちに差し出される「近藤勇」「土方歳三」はすでに覚悟の決まった、腹の据えた、うーんなんちゅーか、中年のおっさんでした☆
土方さんはまだしも、近藤さんのほーは面構えもなーんかこう、がつっと。
(しかし実年齢とかはわかんないんですよ)(役年齢も役者のも。)
初々しさっつーたら、権謀術策の未熟さとか。
近藤さんなんてのは時間たっても口下手でしたりとか、土方さんは女の人への距離がこーなんつーか、非常に微妙で曖昧で。なんだかんだと見た目に拘らんと「未熟」さは案外感じさせてもらえたかと思います。
未熟な部分もある、人間、かな。
しーかし、こっちゃそんなでなく。
今、現代と比べりゃあ多少しっかりしてるんでしょーが、せいぜい数歳上ってところだよね。役者の実年齢の中身とほとんど変わらんのと違うでしょうかありゃ。
中年の風格があるかっつったらない、皆無。
あって溜まるか呆け、といった体たらくですよねぇ。
ええもう、不満に不満に不満を募らせる人の気持ちはわかります。
そーでない展開を辿って行ったのは知ってます。
つかむしろ、『新選組!』に最初に興味をちゃんと持ったのはそーいう一言だったよーな気もしますし。
曰く、
――そっちのが正しいんじゃないの?!
あーそーよねー、21歳の若造が、「黒船でっけー」と言ってる姿に中年の風格があることをリアリティの無さと怒るのもさすがにフィクションに対して許容量低すぎな気もするけど、なくてもいいよなぁ。風格。
二十代半ばの若造が、しゃちほこばって大口叩くこともある。
プライドから、適当にあしらってくる相手に警戒心剥き出しにしても、ちょっと理詰めで来られたらころっと参って、尻尾を振ってしまう。
人を殺したくないっつーておいても、そうは上手くいかなかった、そんな弱い、手加減の効かせられるよーな相手ではなかった、というのを。
だいぶ怒られたろーなー、と私みてーのに推測させる硬直ってなんだろう?
まあ、生家のある多摩に出稽古に行って。
そこで盗賊退治を頼まれるところと、そこで「人を斬った」。
そーいう展開でほとんど全てです。
永倉新八とか、えーと、原田左之助?(間違ってたらゴメン)
とかの後の新選組隊士が出てるよーですが、永倉さん格好いいよーっ! ジツは十九歳ってのに動揺しまくるところが面白かったー。w
ぜっっってーーー違うだろーーーっ!
(沖田みつさんは許容!)(いいの、沢口靖子さんはいいのっ!!)
ちなみに、サブタイトルである「多摩の誇りとは」を激しく無視ってますがごめんなさい。えーと、多分、土方さんと近藤さんが一緒くたにそこの出なので、そーいう関係ではないのかと思いますです。
農民は剣を持たないのだそーですが。
私らむしろ持たないことにどちらかというと誇りがあるもので、多分コンプレックスとか言われても気持ちはわからんです。
そこらを刀持ってる人らがうろついてるとわかるんかなぁ?
て、若めの人間たちは大抵そんなところから始めます(女は多分特に)。
そーいう私の伴走者としては、若い躊躇うにーちゃんのがいいよーには思います。
どちらが正しいとか、間違ってるとかそんなでなく。