仮面ライダークウガ:EPISODE 35 愛憎


『仮面ライダークウガ』EPISODE 35 愛憎

後半に掛けて、号泣しました。

まあそれはさて置き(置くのか)。
例えば人間は台風を憎みませんし(直接被害の関係者はまた別として)、車もそれほど憎みません。でも、ナイフや銃は憎むかな。

一条さんは、人間体になっているグロンギちゃん達を撃てません。
てか、初対面の4号、つか2号も撃たなかったんですから、かなりの判断力と思いますが。彼は本気で一発も撃ってなかったかと。直感かもしれんという気がするのが怖いところです(そんな感想)。
五代クンが今まで、グロンギ達を憎んでいたかというと、そう思いません。


人喰い虎が山から下りてきたら、殺さにゃならんのです。
別にそれを「正義」と呼んでもおこがましいということもないでしょう。
少なくとも人間の身だったり守られる身で、本気でそれを言ったら駄目なんじゃないか、甘えなんじゃないかと思います。その後、下りてこないようにすることのほうが本当の「正義」かもしれなくても。私は食い殺されたくないのです。
(手負いの熊も不可です、フツーの熊は他に対処法があります。)

だからって、虎が憎いかっていうと、殺しておいてそりゃあねぇんじゃないかとちょっぴり思います。虎は生きてるだけだ。
人が家畜を喰らうのを反省してもしょうがないくらい、どうもならんことなのではないのかと思うのです。

けれどそれ以前に、人が食い殺されていたらどーなるのでしょう。
しかもその死に、悲しみや責任(己の)が伴っていたとしたら?


いやこの話はそうじゃないですね。
「恐怖」「楽しみ」を理解できる、同じ言葉を喋る存在が、それなのに人間を物のように扱うのだとしたら、それで息苦しくなってしまったとして怒りを覚えたとして、それが醜い感情といえるのでしょうか。

でもこの話は、突き放すんだ、五代クンを。


一条さんも、今日は警察の皆といる。
桜子さんとも遠い。

OPは、「英雄は一人でいい」と歌う。
ジャラジ(今回のグロンギちゃん)を殴りまくっていたシーンも、紫色になって斬りまくっていたシーンも、本当に醜く描かれています。
その間に入るのは、五代クンが置いてきてしまった、喧嘩してた幼稚園児たちが不器用に歩み寄って、皆で積み木の城を完成させていた画像。

例えば、一条さんにはグロンギさんたちの行動や感覚に腑に落ちないものはあっても(そして少し、人間側の事情を異種族に押し付けるよーなことがあっても)、それが怒りになることはない。
彼は職業柄、慣れているのかもしれませんが。
それとも心が鈍化しているのかもしれませんが。
「決別」の覚悟は出来てるんだと思うんですよね。


どっかで、五代クンには甘さがあったのかもしれない。
どっかしらで、人喰い虎に対するみたいな憎めなさがあったのかもしれない、今までにもさんざん人は死んでいるけれど。どうしようもない、というような。

なのに「楽しい」という、わざと怯えさせる。

それなのに、物として、ゲームとして殺す。
今までとものすごく違うのかといったら、そうでもないのではないかと思うのです、結果は似たようなものなんじゃないかと思う。今までだってゲームだった。


彼の怒りは、変身して、対峙するその直前まで全く描かれていません。
力を手にするその瞬間まで、向き直るその寸前まで、彼は怒っているというわけではなかった、多分、もやもやしていたんじゃないかと思います。
「彼」は隠し事をしないから、そう見えるならそうなんですよね。

彼の怒りは、変身してから拳、容赦のなさ、斬る執拗さでしか表されなかった。


視聴者は多分、故意に置いてけぼりにされたんです。

なんていうのか、それを、憔悴を人間の姿で描いていれば、私たちは彼に同調できたんですよね。どんなにその怒りが激しくても、それは「人としてしょうがない姿」だと思うことが出来たはずなんですよ。
むしろ美しいものと感じることが出来たんだと思うんですよ。
ジャラジは人の苦痛を「楽しみ」と笑うんですから。なおさら。

それなのに、否定するんですね。ヒーローを。

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