ここかなり怪しいです...当時の事情を知ってる人いたらぜひ書いてください
おそらく、というレベルにとどまるが、
日本におけるパルクールシーンは、
2001年の映画YAMAKASIの公開によって開いたと言えるだろう。
それまで、各人ばらばらにパルクールのような事はしていたが、
移動の芸術としての明確な定義づけと、パルクールという名前は、
映画「YAMAKASI」によって日本に持ち込まれた。
もちろん、それ以前にTAXi等でもパルクールシーンが含まれてはいたが、
メインとしての扱いではなく、注目されなかったのである。
映画「YAMAKASI」は2001年に日本で公開された。
当時の扱いとしては、リュックベッソンによる
「フランスのパフォーマー集団による、アクション映画」
であった。
映画の中にparkourという単語が一切出ないため、
公開当初はYAMAKASIというスポーツだと思われていたようだ
2002年、2chのxsports板に最初のパルクールスレが立った。
現在は残念ながらdat落ちしていて見ることができない。
YAMAKASIは最強のXスポーツなのか?
1 名前:ははは[] 投稿日:02/01/29(火) 06:22 ID:NctEahKg みんなどう思います?
そしてゆっくりながら着実にスレは流れた。
130でついに「パルクール」という単語が書き込まれる。
130 名前:名無し@コソーリ練習[sage] 投稿日:02/12/07(土) 02:23 ID:??? ヤマカシっていうか、パルクール(parkour)っていうか、(BSの番組では確かそう呼んでた) GAORAのトランスワールドスポーツで特集やるみたいよ。 http://www.gaora.co.jp/other/index.html#trans やってみたいけど、ものすごい目立つんだろうな。 どうやって練習するんだろうか。
これ以降、parkour(本来の発音はパッコーに近い)は、パルクールと呼ばれることになる。
結果、このスレからいくつかのチームが生まれることになった。
時代を同じくして、PARKOUR BOXさんが開設された。
現存するパルクールサイトの中では最古であり、
現在までずっと継続して更新されている努力は筆記に値するだろう。
しかしながら、活動エリアが関東ではないことなどによって、
日の目をあまり見ることができていない。
2006年後期から、Parkour Project NaGaRe(流)の中核として活動し、
関西のパルクールシーンを牽引している。
JUMP LONDONはイギリスBBCによって撮影されたパルクールドキュメンタリである。
放映はChannel4。日本での放映はディスカバリーチャネルの配給による。
地上波放映されなかったため、一部のドキュメンタリー好きに話題になる程度の扱いであり、
そこまで大きな話題とはならなかった。
JUMP LONDONが日の目を見るのは、2004年のまる見えショック以降である。
2004年日本テレビ(NTV)の「世界まる見え!テレビ特捜部」で、JUMP LONDONが放送された。第一回放送予定日直前に、俳優窪塚洋介が飛び降り事故を起こしており、その影響で一時は放送が延期されたものの、何週間か後の放映で「ロンドンを跳ぶ男たち」というタイトルで放送されたのである。実際には、JUMP LONDONがそのまま放送されたわけではなく、おそらく編集側の判断で下記のようないくつかの変更がなされた。
しかし、ゴールデンタイムかつ人気番組ということもあって、この放送は日本のパルクールシーンに歴史的なショックを与えた。特に大きな影響は、チームの乱立であった。小中学生を中心に、最大で10チーム程度が突如として名乗りを上げたのである。しかし、現在でも存続しているチームは数える程度しかない。この原因のひとつは、初心者向けの解説を十分にしているサイトが存在しなかったため、初心者用の間口が非常に狭かったことなどがあげられるが、小中学生が飽きっぽかったというのも無いわけではない。
編集待ち(これを見ているあなた!ぜひ!)
イギリスのチーム,Urban Freeflowが
tutorial DVDというDVD作品を制作するために来日した。
来日メンバーは ez, asid, sticky, kiell, Dan の5名。
Danは日本語が喋れるので、通訳と現地コーディネイターをこなしていた。
JUMP LONDONの最後で「Parkour Japan!!」と叫んで
鳥居から飛び降りていたのが Dan edwards、彼である。
時を同じくして、関東のparkour愛好者が
川崎体育館で何度か会ううちに
定期練習会を開くようになった。
この定期練習会によって、
日本のパルクールシーンが大きく変化したといっても過言ではない。
それまでは個人で好き勝手に練習していたため、
どうしても手抜きやサボりをしてしまっていたのである。
初期の幹事はノーポジションさん。
開始当初はわずかに3名程度の集まりではあったが、
次第に人数が増え、10名程度に至った。
マドンナ(詳細はWikipediaなどを参照)のプロモーションビデオが日本で、パルクールを使用して撮影された。
撮影には外国人トレイサーが起用され、雑然とした背景の中を外国人トレイサーが走り回るという非常にインパクトのある映像だった。
このプロモーションビデオには日本人トレイサーも撮影に参加したが、残念ながら一瞬しか出てこない(顔なども映っていない)。
フジテレビの深夜番組「カワズ君の検索生活」において、
検索数上昇中の注目キーワードとして「パルクール」が取り上げられた。
パルクールについての解説はあまりなかったが、
David Belleの"Speed air man"がほぼそのまま放送された。
関根勤が「あのビルの飛んだりするアレでしょー!?」とリアクションしたため、
パルクールスレッド等では話題となった。
結果として、第一次ショック、第二次ショックと同様に、
などを招いた。
深夜番組「ゆる神大サーカス」において、
関東定期オフの練習会が取材され、放送された。
KenGさん個人の取材ということであったが、
練習会の風景なども流された。
日本で初めて「日本人traceur」に日の目が当たった瞬間である。
PKDAY定期化
MADONNNA / JUMP
10feet / SHOES
Levi,Brian,sullivanらのSasukeへの本格進出