能楽囃子方五十年


書誌データ

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目次

  1. 修業時代
  2. 能の世界を打ち分ける
  3. 観世寿夫について
  4. 大鼓から見た作品論
  5. これからの能のために

内容

  • 出版社/著者からの内容紹介

    能舞台で亀井忠雄が大鼓を打つとき,そこには限界をこえた,激しい生命のほとばしりがある。葛野流?宗家預かりとして芸を支え続け、能楽界最高峰の囃子方とされる著者が、自らの芸とその半生を語る。ゆるぎない至高の芸はどのような思いと修業によって培われたのか。語られる言葉の端々から気迫に満ちた佇まいが浮かび上がる。

感想

  • 買った日:2005年5月6日
  • 読んだ日:2007年7月3日
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MEMO

  • トリ
  • 川崎九淵?
  • 幸祥光?
  • 亀井俊雄?
  • 吉見嘉樹?

修行時代

  • 本当の超一級の囃子方になりたかったら謡の専門家よりも謡がうまくなりなさい
  • 川崎九淵先生の家の道具とか手付けは結局なくなっちゃったんだよ。(中略)早稲田の演劇博物館におさめられることになった。
  • 今の宝生の「連獅子?」です。笛の一噌流と小鼓の幸流か幸清流、大鼓の葛野流と太鼓の金春流でないと合わないように作っちゃってるんだ。他の流儀でやると「あれ? なんだい?」ってなことになってしまう。

能の世界を打ち分ける

  • 能の五番を打ち分けることがなんといっても大事です。謡い分ける、舞い分けることね。これができれば名人です。
  • 親父が倒れてから幸先生に「獅子?」を金春惣右衛門さんとやっていただいたんだ。「獅子」は葛野流と幸流は黙ってて「ハッ」て掛ける。幸流は二呼吸で掛けるんだけど、葛野流はまたちょっと取り方が違う。だからすぐ「ンッ」って合の手の声を入れたんだ。そしたら、幸先生が「ンッは無しだよ」って言うんだ。無しだよって言われたら、それまでは幸先生がンッって言ったらハッって言うつもりが、しようがないから隣に神経を集中して、きた!っていうんで打ったんだ。そういうところは厳しかったな。だって「ンッ」って言っちゃえば簡単だからね。呼吸取るのに。間を取るのには、どういうふうにしたいいかということを子供に教えたんじゃないかなと思ってるんだ。川崎先生も「ヨー、ホー、チョン」って言うだけだからね。
  • 獅子?」では、大昔に面白い話があるんです。親父と幸宣佳?が「獅子」をうあったことがあるんだ。親父はそんなことは何も言わないけれど、幸宣佳が言うには、「獅子で、昔、お父さんとね、二人の間に屏風を立てて、ハッというのをやったんだ」、みんなそういうふうにしてやるんだね。「ンッ」という合図を入れないで呼吸を合わせて、ハッとやる。屏風の向こうとこっちで、呼吸を合わせる。最初は合わなかったらしい。でもやっていくうちに合ってくるんだ。「いつのまにか合うようになった」と言っていた。「そんなもんですか」言ったら「そんなもんだよ」って言っていた。
  • 本当にうまいシテは、次第の「ヨセ」のところがわからないんです。三番目物の寄セで、揚げ幕から出てきて、『井筒?』でも『野宮』でも、常座で謡う。そこまでの橋掛リから常座へいつのまにきたのかがわかんない、うまいと。
  • 序ノ舞というのは、藤田大五郎?先生の序之舞?が最高だと思っている。

観世寿夫について

  • とにかく、運び、謡の転がし方が、謡の上手い人というのは違うんだ。友枝喜久夫?さんもそうだよ。『定家?』なんかで出てこられると、ホントに良かったんだ。だから長くないんだ、道具持つまでの時間がね。
  • そういう上手い人の謡というのはね、後ろから見ているとわかっちゃうんだ。このシテはどのくらいの器量か、上手いかまずいかってね。次第を謡って向う向いて下歌までで「さよなら」って返りたくなるのもあるけれど(笑)。

大鼓から見た作品論

  • 何でもそうだけど舞い物は「笛を主と頼み」なんだよ。主と頼むものはあるんだよ。謡なら地頭に。そいつが上手ければいいんだ。私よりも上手ければいいんだ。
  • なんでこの人は上手いと言われているんだろうかと考えて追っかけないと。
  • 自分の先生の笛の音に憧れて、憧れて憧れて、それを聞いて稽古することによってそういう音になっていくんですって(藤田大五郎談)
  • すべて気合なんだけど、命がけなんだよ。藤田先生がしょっちゅうおっしゃることで、宝生の「延年?」やるときは命がけで、これで死んでもいいやと思ってやるんだ。
  • 宝生の「延年?」は一言で言えないくらい凄いね。十五歳のときに藤田先生に習っちゃっているけれど、十五歳じゃ「延年」なんてさせてくれないじゃない。宝生九郎という人は『安宅?』が好きだから、藤田大五郎、亀井俊雄、幸祥光を並べて時々やるわけです。それで後見で後ろで凄い「延年」が聞ける。ちきしょう、いつかはやりたい!って思う。でも実際やってみると大変なんだ。

これからの能のために

  • 私自身が恩義を受けた過去の名人たちへの感謝の気持ちもある。いったいこれまでの能が、何を大事なものと考えて、芸を継承してきたのかを、言っておきたかった。将来にわたって能が敬称されていくにしても、その大事な中心は変わらないと思う。

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