三味線の習ひやうは、人の弾くに心をつけ、撥の持ちやう、糸のおさへやを見るべし、あるひは歌を弾かば、まづぞの歌の節はよく覚ゆるが肝要なり、たとへば絵をかかんと思ふに度々見たるものを画くは似せてかかるべし、ついに見ざるものを何としてか描き出すべきや、三味線もこれに等しく、我さへ唄をおぼえずして、三味線にうたはすること、なかなかなりがたきことなり。 まづ糸をあはせ習ふが肝要として、調子の合せ方を教へこみカンどころのおさへ方となり一二三の三つの糸のつかひ方を、順序よく指南してある。(「三味線」p.16)
糸をおさゆる指は人さし指なり、紅さし指中ゆびにてもおさゆることあれども、それは功者になりてのことなり、はじめは人さし指ばかりにても苦しからじ。(「三味線」p.17)
師匠のコメントから一応上がったと思ってもいいかな?という曲(あくまでも、”一応”)