ちなみに、弱者に味方することを、よく「ホウガンビイキ」とか「ハンガンビイキ」といいますが、歌舞伎の『勧進帳?』の義経?をはじめとして一般にも九郎判官義経に味方することを「ホウガンビイキ」といい、また『仮名手本忠臣蔵』に登場する塩冶判官高定?(実説の浅野内匠頭?)に同情することを歌舞伎好きは「ハンガンビイキ」といっています。
P.13
- 花魁?の傘
歌舞伎で吉原仲之町?の花魁道中?の場面はおなじみですが、この時に使う傘は長柄の大きなもので、若い者が花魁のうしろからさしかけます。これは、京都の島原?、大坂の新町?、江戸の吉原?など、官許の遊郭の花魁に限って用いられたものと聴きました。
このことによっても、「傘をさす」という行為のぜいたくさがわかります。そして、歌舞伎の舞台の美しさは、傘によって引き立つ部分が大きいことを感ぜずにはいられません。
P.93
- 歌舞伎の馬?
歌舞伎の舞台の二人立ちの馬は、すでに三百年以上も前から使っていたようです。元禄十七年版の浮世絵草紙?に、後足の役者がこれも商売だから仕方がないとあきらめつつも人知れず涙を流している記述があり、「されども馬になりて乗せる者と、また乗る者とは、大分のちがいぞかし」と同情しています。
舞台の馬が小道具の係りというのも面白いですが、時代とともに“馬の足”をつとめる役者の体格が大きくなり、小道具も進化しました。
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