ベスト・オブ・ドッキリチャンネル


書誌データ

  • 読み:ベ()すとおぶどっきりちゃんねる
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内容

感想

  • 購入した日:2002年1月3日
  • 読んだ日:2003年11月7日〜2003年11月17日

MEMO

  • 若山富三郎?
  • 鬼一法眼?
    • 若山富三郎は深夜映画の「鬼一法眼?」を見た時から六代目?のようなものを持っていると見て感心した役者である。彼の談話を読むと六代目?と親しかったらしい。六代目?は下手な、又巧くても歌舞伎以外の役者を気嫌いし、或歌手が歌舞伎座に出た後、舞台にカンナをかけさせたという話がある。若山富三郎鬼一法眼の何処かに六代目?の感じがあったのは当然のことだったわけだ。今度高峰秀子と組んでやる父親役はうならせてくれるだろう。(『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』P.10)
  • 六代目?
  • 銭形平次?」は、(あらえびす?)こと、野村胡堂の原作がいいので、下っ引が駆け回って帰ってくると、疲れたろうと言って銭形の女房(この女房がよく焼くに嵌まっていて銭形の本当の女房のように見えるのも楽しい)がお膳を出すところ、平次も女房の仕立てた半纏を着てお膳につくところなぞ、岡本綺堂の「半七捕物帳?」で半七が下っ引きに鰻を食わせるところと同じで、そういう場面はあってもなくてもいい場面なのだが、それがあるために芝居にゆとりがついて、芝居がひき立っている。「銭形平次?」の芝居がその無駄があるために一層面白くなっている。(P.21)
  • 明治大正にかけて演芸画報?に筆をふるっていた岡鬼太郎?というすごい劇評家がいた。その人はむろんプロ中のプロで、役者の楽屋に入りこみ、興行の間は楽屋と客席を行ったり来たりしていた人だが大変な辛辣な人で毎月当るを幸切りまくっていて少女の頃私は楽しみにして読んでいた。或日「野崎村?」の引込みで寿美蔵?松蔦?が両花道を揚幕に入った時観客(けんぶつ)の顔が一せいに松蔦?の方に向いたことを書き(寿美蔵?たるもの以って如何となす)と書いた。寿美蔵?は巧い役者だったが、顔も寂しくパッとした人気がなく、又、座頭の左団次?は相手役の松蔦?を可愛がっていた。意地も悪い評である。無論鬼太郎?のような名人のまねをアマチュアがするのはおかしいのだが、プロにもそういう人物がいたことを書いておくのである。私は役者たちの状況や事情を知らないし又、知ろうとしたって出来はしない。(P.26-27)
  • 羽左衛門?
  • 中村歌右衛門が文化勲章を受けたことについて、いろいろな人物の是非の意見が発表されているが、文化勲章というものが、日本の文化を高揚した人物に、与えられるものだとすると、歌右衛門?が受けるのは当然である。是非の論の中で、寺山修司?福田恒存?との意見はともかく肯けたが、他の人々の論旨は私には理解出来ない。唐十郎?の、現在の歌舞伎がエネルギーを失っているというのは真実(まこと)らしいが、(私は大正初期以後の歌舞伎しか見ていないが、昔の恋愛場、所謂濡れ場は、現在の歌舞伎から見ると驚天動地のものだったようだ)明治になってから、道学者、または道学者めいた意見を吐く人々によって、寄ってたかって骨抜きにされたのが、現在の歌舞伎である。歌右衛門?なぞはその素の形の残らぬまでに骨抜きされた歌舞伎の世界の中で、情緒を充分残している役者の一人である。これは他の雑誌に載せた文章だが、歌右衛門?八つ橋?の縁切りの場の哀艶の情緒は素晴らしい。佐野次郎左衛門?が、お職の花魁にもてたというので仲間の商人を五、六人伴れて、もてるところを見せようというのでやってくる。(これが八つ橋?花魁だ)と引き合わせると八つ橋?は(わたしゃお前に惚れた覚えはない)と、冷たく言い放つ。商人たちは(きくと見るとは大きなちがい)と口々に笑い囃やす。案に相違の愛想づかしにおろおろと、なすところを知らない次郎左衛門?から顔をそ向けて座り、少し立て加減にした方膝に、長煙管を突き立てるようにして俯向き、じっと耐えている八つ橋?の姿には、悪足(花魁から金を絞り上げて、自分は何もせずに暮している男)があるために、次の客に移らなければならぬ、そのために惚れたようすもしなくてはならない辛さが滲み出ていた。その姿には又、今書いたような、恐るべき恋愛場面が次郎左衛門?との間に、たしかにあったことを肯かせるところがある。遣り手婆手前、佐七に愛想尽かしをする様子にもこの八つ橋?と同じな風情があって、哀れ深い。初夏の論の中で一番がっかりしたのは、「帽子と鉢巻?」なぞの小説、劇作などで尊敬していた飯沢匡?の説である。型を踏襲して巧く遣るのは当たり前のことであるという説だが、従来の型を継承しても、その型から出ているのでないと、いい芸とは言えない。巧い役者は、代々の方を継承し、踏襲しながら、その型から出ているのであって、型をただ踏襲しているのではない。前々号に書いた、立派だった田村高廣?鑑真?(これは型というものがないので、至難であり、大変な苦しみをして演じおおせたのだが)に匹敵するものを歌舞伎役者の芸の中に探すとすれば、最近もNHKで見た、歌右衛門?の墨染桜の精だろう。私は歌右衛門?の墨染桜の精を二度か三度か見たが、今度又テレビで見て、改めて感歎した。ジャン・ルイ・バロオがお能を見て感動し、終わった後で舞台に近づき、(この上に乗るのは勿体ない)と言って、手のひらで舞台の板を撫でていたという話を読んだ。フランス人は芸のわかる国民である。私は今度、テレビで、墨染桜の精を見て、真実(ほんとう)に、桜の精が抜け出して来たという、美を感じた。不思議な、幽玄な世界である。大伴の黒主が鉞を振り上げて、のけ反る墨染の上にのしかかった時、前には頭が舞台の板につく程反り返ったが、今度は反り方が少ないので、前と違って体を庇っているのかと、心細い気がしたが、その幽玄な美は前と同じにたとえようがなかった。たしかに、桜の樹から抜け出て来て、桜の精であった。せりふや仕科、踊は訓練で、到達出来るだろうが、これは桜の精だと、見る人に感じさせることはむずかしい。鑑真?朔太郎?を表現するような難業である。これ又、演劇理論では片づかない演技である。歌右衛門?がどう遣って、樹から抜け出た桜の精だという感じを私に抱かせたか、私は知らない。それは芸というものの微妙で不思議な、歌右衛門?がどこからか、宇宙のどこからか、奪って来た、誰にもわからない、(或もの)である。(P.60-62)
  • 又、以前に能を見て感動したジャン・ルイ・バロオについても書いたがその後へ、そのバロオ?歌右衛門?の墨染桜の精を見その説明を聴いたら、どれほど感動したことだろうと書くつもりで、それを落としたので、その箇所がわけのわからない文章になった、それも書いておく。(P.63)
  • もう一人、すごくきびしい顔で、こわいようなのが三升家小勝?である。彼が病気で席を何回か休んだ後、久しぶりで、上野の鈴本?に出た日、その日は六月の半ばなのに酷い暑さで、天井の扇風機がブンブン廻っていても大変な暑さだった。久しぶりなので客が押しかけたのだ。楽屋でそのざわざわを聴いた小勝?はうれしかったことだろう。小勝?は名人だったが、彼の噺で最も印象に残っているのは、噺の題は忘れたが女郎買いに行ったところで、相方に出た女が山出しだったので、足の裏の皮が厚くてカサカサだったところを演ったが、その時「お前(おまい)さん、靴履いてんじゃねぇのかい」と言った箇所(ところ)が絶妙だった。何十年も経った今思い出しても笑えるのである。小勝?の出の顔、扇子を持った様子は厳しい親父が、息子に勘当を言い渡しに部屋に行くところのようだった。(P.92)

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