長戸大幸


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1977年、作曲家だった長戸大幸が妹尾隆一郎のマネージメントオフィスとして、ビック・ミュージックを設立。 1978年09月05日、スピニッヂ・パワーの「ポパイ・ザ・セーラマン」を月光恵亮らと製作。 1978年11月01日、長戸大幸が六本木に株式会社ビーイングを設立。 1979年04月01日、江崎秀一がデビュー。 1979年05月21日、長戸秀介、織田哲郎、北島健二のパーマネントグループ、WHYがデビュー。 1979年08月21日、キングレコード内に新レーベル BILL BOX を設立する。 1979年11月01日、ビーイング音楽振興会を設立。(後に沙里、稲葉浩志、上杉昇らを輩出) 1979年11月14日、株式会社ビック・インターナショナルを設立。(BEING GROUPのレコーディングスタジオ(後のStudio Birdman創設の為の会社) 1981年07月01日、Studio Birdman/Brown Roomが完成。 1981年10月21日、Ading設立。Being Groupの宣伝広報部門として。 1981年11月30日、株式会社Treasury設立。(Being Groupの財務・経理・法務部門として) 1981年12月17日、LOUDNESSが浅草国際劇場でのデビューコンサートを成功させる。この出来事は当時スタジオ・ミュージシャン中心の小さなインペグ屋でしかなかったビーイングを躍進させる原動力となった[6]。 1983年半頃〜、新宿 LIVE INN MURASAKIでライブハウスを展開。 1983年10月01日、Jawsman STUDIO完成。(リハーサルスタジオ) 1985年06月01日、TUBEが「ベストセラー・サマー」でデビュー。(ハワイではこの日をTUBE DAYと定めている。) 1985年09月30日、Studio Birdman Gray Room完成。(レコーディングスタジオ) 1987年01月11日、YEAHブルース・セッション、目黒ライブステーションでスタート。 1987年03月01日、第1回 BADオーディション開催。(桜井ゆみ)Sound Jokerで開催。 1987年03月02日、株式会社ファースト・シーン設立。(Being Groupの総合作家マネージメント・オフィスとして) 1987年11月08日、YEAH BLUES SESSIONの集大成となるライブを渋谷公会堂で開催。 1987年11月15日、第2回 BADオーディション開催。(T-BOLAN、関ゆみ子)目黒ライブステーションで開催。 1988年09月05日、株式会社シーズ設立 (Being Groupの総合マネジメント・オフィスとして) 1988年09月21日、B'zが「だからその手を離して」でデビュー。後に日本を代表するユニットとなった。 1989年01月22日、第3回 BADオーディション開催。(大黒摩季)五反田・スタジオ1009で開催。 1989年09月30日、T's STtudio完成 (二子玉川) 1991年、Mi-Ke、ZARD、川島だりあ、T-BOLAN、WANDS等がデビュー。 ポリドールに専門レーベルb.gramを構える。 初の系列レコード会社ビージン(のちのZAIN RECORDS)を設立。 1992年、大黒摩季、TWINZER、MANISHがデビュー。 BMGビクターに構えていた3つの専門レーベル(Rhizome, ZEZ, DOG HOUSE)をBMGビクターと共同出資で法人化、系列レコード会社BMGルームス(のちのRooms RECORDS)を設立。 1993年、DEEN、BAAD、REV、ZYYGがデビュー。 ポリドールに構えていた専門レーベルb.gramを法人化、系列レコード会社B-Gram RECORDSを設立。 1994年9月27日、株式会社ビープラネッツを設立[7]。 1995年、J-DISC(のちのJ-DISC Being)設立。これにより、グループ内のみで楽曲制作から流通までを構成できるようになった。 FIELD OF VIEW、BA-JIがデビュー。 BMGルームスをRooms RECORDSに社名変更、完全に系列レコード会社となる。(販売はBMGに委託) 1996年、ZAIN RECORDSに関西専門レーベルとしてWEST HAUSEを設置。 9月1日 - Rooms RECORDSの販売権がBMGからJ-DISCに移管。 1997年、秋吉契里、小松未歩、七緒香、辻尾有紗がデビュー。 ZAIN RECORDSに関西専門レーベルとしてSpoonfulを設置、9月にはAmemura O-town Recordとして法人化。 1998年9月1日、関西エリア初のメジャーレーベルとして、株式会社ギザ(GIZA studio)設立。 1999年、倉木麻衣、rumania montevideo、WAG、4D-JAM、sweet velvet、New Cinema 蜥蜴、GRASS ARCADEがメジャーデビュー。 2000年、愛内里菜、GARNET CROW、松橋未樹、Soul Crusaders、長谷実果、RAMJET PULLEY、吉田知加がメジャーデビュー。 2001年、上原あずみ、Les MAUVAIS GARÇONNES、nothin' but love、the★tambourinesがメジャーデビュー。4月、アメリカの音楽配信サイトMP3.comと提携し、両社提携の日本語サービスを開始[8]。 6月25日、グループ傘下であるB'zのマネジメント会社「ビー・ユー・エム」(代表長戸大幸、取締役松本孝弘)が東京国税局の査察を受け、B'zのコンサートに関する機材費・人件費に関して、複数のグループ会社に支払ったように偽装し、架空経費を計上。約8億4000万円の所得隠しを指摘されたことが報道された[9]。ただし、ビーインググループ内の別会社の収益として申告・納税されており、脱税の意図はなかったと判断され、刑事告発は行われなかった。ビー・ユー・エムは、国税局と見解の相違があったとして修正申告に応じた。 2002年3月、大阪市西区北堀江にhills パン工場を開店。 2002年、菅崎茜、三枝夕夏 IN db、北原愛子が、山口裕加里、大野愛果メジャーデビュー。 2003年3月20日、hills パン工場にてTHURSDAY LIVEを開始。 2003年、滴草由実、岸本早未がメジャーデビュー。 系列レコード会社B-Gram RECORDSが同ZAIN RECORDSを吸収、ZAIN RECORDSはレコード・レーベルとして存続。 2004年、doa、高岡亜衣、竹井詩織里、スパークリング☆ポイントがメジャーデビュー、韓国の人気女性グループJEWELRYが日本デビュー。 2005年8月4日、アメリカアップルコンピュータによる音楽配信サービスiTunes Music Storeと提携、日本版サービスの開始と同時に配信を開始[10]。 2005年、岩田さゆりがメジャーデビュー。 2006年、宇浦冴香、上木彩矢がメジャーデビュー。 2007年、系列レコード会社NORTHERN MUSICを東京港区に設立し、倉木麻衣、滴草由実らを移籍させる。長戸大幸が代表取締役を退任した(但し、歌手の質を保ちたいことを理由にプロデューサー業は続投)。 グループ再編により多くの関連会社を整理。NORTHERN MUSIC、GIZA studioを除く系列のレコード会社はビーイングに吸収。新代表取締役には倉木麻衣の担当マネージャーだった升田敏則が就任した。 2007年には、DAIGOがボーカルを務めるBREAKERZ、小泉ニロ、Gulliver Getがメジャーデビュー。 2008年、Naifu、羽田裕美、平田香織、PINC INCがメジャーデビュー。 2009年、Chicago Poodle、さぁさメジャーデビュー。 2010年1月、新レーベルpure:infinityを設立。 2011年、Caos Caos Caosがメジャーデビュー。 2012年には新レーベルD-GOを設立し、grram、なついろがメジャーデビュー。また2012年12月12日にメジャーデビューが確約されている大々的なオーディション「トレジャーハント 〜ビーイングオーディション2012〜」を開催する[11][12]。その後、優勝した新山詩織が12月12日にアーティストデビューした。 2013年7月、グループ約30社と創業者の長戸大幸が、東京・大阪国税局などの税務調査で、2007年から2012年までの5年間にわたり、計約20億円の申告漏れを指摘された。ビーイング側は「見解の相違はあったが、国税当局の指摘を受け入れ、修正申告した」とコメントしている[13]。 2013年、新山詩織、KNOCK OUT MONKEYがメジャーデビュー。 2014年、WAR-ED、植田真梨恵がメジャーデビュー。 2014年、新レーベルCRIMZONとWhite Cafeを設立。 2015年、女性ダンス&ボーカルグループLa PomPon?、安良波明里、蓮花、アンティック-珈琲店-の4組がメジャーデビュー。