コーヒーブレーク / NEWS誕生秘話


ソニーのNEWS誕生秘話

さアさア、ご用とお急ぎのない方はゆっくりと聞いておいで、遠出、山越え、笠の内、聞かざる時は物の文色と道理が判らぬという。遠くから見たり、人のあたま越しに覗いていたんじゃ何のことかわからん。さア、遠慮はいらないから遠くの人は近くへ、近くば寄って目でごろうじろうだ。ただいまよりワークステーションはNEWSの誕生秘話の始まりだよ。

さアて、お立ち会い!

手前、ここに取り出しましたのは、ワークステーションはソニーのNEWSだ。机の上や、そんじょそこらにあるワークステーションとは訳が違う。あんなものには商品としての魅力は全くない。手前のは東海道は最初の宿場、品川は高輪で獲れたソニーのワークステーションNEWSだ。NEWSかどうかはどこでわかるか。パネルに貼られたNEWSの4文字。ネットワークとワークステーションを合わせてネット・ワーク・ステーションNEWS、ニュースとしゃれたもんだ。

さアて、お立ち会い!

では、このワークステーションはどのようにしてできたか。時は昭和六十年五月、UNIXワークステーションの黎明期、回路設計で今は無きDECの VAXを寄ってたかって使っていたソニーのエンジニアたちは考えた。自分たちの使えるコンピュータを作ろう。自分たちの手で持てるコンピュータを作ろうと集まった。そのリーダーがCDプレーヤーの産みの親、ソニーきっての奇人、D博士だ。作ろうとは言いだしたが資金はないし人もいない。はたと困ったD博士、広い額で考えた。普通のやりかたでは画期的なプロジェクトは遂行できない。そこで思い付いたのが社内ベンチャー。はみ出している人材を集めようと社内に求人広告を出すという異例の人材確保作戦が始まった。初代東大パソコンクラブ会長はじめ11人の優秀な不良社員が集まった。

当時、国をあげて国産のワークステーションを開発しようというシグマという名のプロジェクトが進んでいた。しかし、オペレーティングシステムをシステムV系にするか、BSD系にするかでもめて、空中分解をしていた。そこで不満を持っていた技術者がこのNEWSプロジェクトに合流した。かくして、同年九月、相模の国は葉山の海岸での合宿において、一気飲みのいっきをもじったICKIプロジェクトが誕生した。名前がいっきだけに開発は速い。通常なら二年はかかろうというワークステーションをたったの六カ月で完成させてしまった。

このワークステーション、何がすぐれているかというと、とにかく小さい。ビデオデッキの生産ラインに合わせて小さくしたというからさすがはウォークマンのソニーだ。小さいだけかというと速い。VAXの2倍の速さだ。しかも安い。SUNワークステーションが2000万、3000万していたときに350万と一桁安かった。小さい、速い、安い。吉野屋の牛丼も驚くスーパーワークステーションNEWS、NWS-800の登場だ。だが、お立ち会い。このワークステーション、これだけかというとまだある。今では当たり前だが当時は高嶺の花でイエローケーブルと言われていたイーサネット、TCP/IP、ネットワークに強いUNIXであるBSDのフルセット、Xウインドウ、CGI、NFS、C、FORTRAN、Pascal、LISPと技術者なら涎の出そうな業界標準を全て装備しているというのだから驚きだ。すごいマシンに仕上がった。

このNEWS、遂にデビューのときが来た。昭和六十一年十月、東京は晴海のデータショーに出展した。その反響の大きさときたら前代未聞。すぐにショー全体の一番人気とあいなった。北は北海道、南は九州、沖縄から日本中の物好きがこのNEWSを見るために集まった。一般ユーザーはもとより、富士通、NECというライバル会社のワークステーション開発者からも羨望の的になった。技術者の夢がここに現実のものとなった。実際に販売を開始してみると、売れる、売れる、注文の電話は鳴りっぱなし、作った先から飛ぶように売れた。ショーが終わって数カ月を待たずして、NEWSは日本のワークステーションのマーケットでトップシェアを獲得した。NEWSはソニー神話に新しい一ページを付け加えた。

もうちょっと前の方に寄んなさい。これからが大事なところだ。遠慮なく、さ、前へ前へ...

さアて、お立ち会い!

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、裟羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。これほどまでも隆盛を極めたNEWSも他社の攻勢にじりじり押され、販売台数でSUNに抜かれ、HPに抜かれ、しまいにはEWS4800にも抜かれるというていたらく。このままでは余りにもふがいない。そこでソニーは生死を賭た最後の切り札NWS-5000シリーズを投入する。これからこの新しいNEWSをしばし紹介する。

まずは、そのスピード。CPUに当時最速と言われていたSGI社のリスクチップMIPSを採用した。リスクは従来のCPUに比べて命令を単純化してその分スピードを速めたものだ。2MIPSが4MIPS、4MIPSが8MIPS、8MIPSが16MIPS、16MIPSが30と2MIPS、 32MIPSが64MIPS、64MIPSが128MIPS。何と一秒間に一億回も命令を実行できる。こんなに速いワークステーションは今までない。これからもない。絶対にない。しかも、その記憶容量ときたら1.4ギガバイトという大容量。ギガバイトといっても素人さんにはなじみがない、そこで、簡単に説明するとこの小さなNEWSの中に小説家が使う400字詰め原稿用紙が百と七十五万枚も収納できる。平凡社の百科事典が何セットも入ってしまう。

さて、お立会い、皆さんが電車の中やご家庭で読んでいる新聞雑誌類はどのように作られているかご存知か。一昔前は、鉛の活字を並べた版を使って刷っていた。その後、写真の技術を使った写真製版が一般的になった。この写真製版をつくる前工程では大型コンピュータが使われていた。この安いNEWSを印刷の前処理、プリプレスに使うと非常に仕事がはかどった。今まで何日もかかった作業が数時間に短縮された。この業界で良く使われているAppleの Macintoshとの相性も良かった。フォントも豊富だった。NEWSはプリプレス業界で名機と言われるワークステーションになった。まさにNEWSは文書処理革新をおこした。

さて、お立ち会い。さればこのワークステーションいくらする。本来なら組合の協定により、絶対に値引きは出来ないところがだ、今日は、はるばる出張っての宣伝中、清水の舞台から飛び降りたつもりの破格の値段、350万を300万にておわけする。

はい、ありがとうございます。僅かの300万円でございます....。

【後日談】

その後、何年かしてNEWSは販売終了になった。パソコンがあまりにも安く高性能になり、ワークステーションと言う言葉すら意味をなさないようになった。今では、NEWSの100倍以上の160ギガバイトのハードディスクを持ったPCも当たり前になった。NEWSを作ったエンジニアたちは、 VAIOやPS2などの今のソニーのヒット商品を開発するコアメンバーになった。

JIPは、このNEWSを核にしたビジネスをSRAと立ち上げた。WindowsもLinuxもない二十年以上前に、UNIXサーバによるクライアントサーバシステムの構築やインターネットの前身のJUNETの活動に参加してe-Mailを社内に導入していた。シリコンバレーの新しい息吹がJIPにも流れ込んでいた。

NEWS開発のリーダーであったD博士は、ロボット犬、AIBOを開発し、インターネットで何千台も瞬時に売りさばくと言う偉業を成し遂げた。天外伺朗というペンネームで本を何冊も書いている。(この奇妙な名前は、手塚治虫の漫画の主人公である)

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