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「あなたはただの村人です。しかしあなたの推理力や発言が、村人側の勝利の鍵になるかもしれません。」
村人は、能力者のような人狼を探すための特殊な能力を持たない村側の参加者です。 村人の役割はいくつかありますが、優先されるのは村側能力者の保護です。
(1)はなかなか難しい仕事です。
ヒラ村人の至上の仕事は「潜伏能力者と誤認されて灰(未判定の生存者)の中から喰われる」ことだといわれていますが、
戦術が高度に発達し狼による序盤灰喰いが行われることが少なくなった現在、意識的にそれが出来るプレイヤーはベテランでもそうはいません。
序盤の占先にあがることで、回避COによる占い先割れと占い先襲撃による能力者死亡を抑止するのは悪い仕事ではありません。
喰い残された場合には俗に「保存食」などと呼ばれる占白確定者ですが、確白村人が喰われることで能力者が守られるメリットのほうが大きいので気にしない方がいいです。
占い師は狼に占を当てたがりますが、複数の占師がCOしている状況では、占で黒確定が出ることはまずありません。
たとえ狼が占われ、パンダ判定を受けて吊れたとしても、霊能者が複数COしていたり、
あるいは既に襲撃されていた場合には占の真偽そのものは判明せず「Aが真占の場合にはCは黒、Bが真なら白」という情報が残されるだけです。
対して白確定が出た場合、確実にその占対象は白です。
村全体にシェアされる情報量としては、あなたが「黒でない」と分かることは、狼に占いが当たった場合と比べてもまずまず悪くありません。村人なら占いを逃れないこと。
(2)の方は、具体的には占パンダ判定(偽占師によって黒判定される)の後で吊られ、霊判定結果によって占霊の真偽についての情報を増やす、という役割です。
占先になった時点で黒寄りに見られているということかもしれませんが、パンダ判定を受けてからの挙動次第では発言から白推定され、占霊の真偽判断は大きく村側有利になることもありえます。
これら2つの仕事は村人の誉ですが、なかなかそうはならないのが現実です。
村人が灰のまま残る場合はほとんど「スケープゴート(SG)」(=狼が自分の代わりに吊らせようとしている村人)としてです。
残されてしまうSG村人となった「あなた」は何をすればいいのでしょうか?
答はひとつです。
それしか村の勝利にあなたが貢献できる道はありません。
幸いなことに、あなたには唯一つ白確や能力者よりも有利な点があります。
「自分自身が村人だということが判明している」
ということです。考察すべきグレー村人が一人少ない。
それを生かし推理の基点とすることで、狼を恐れさせるような考察を出すことが出来れば、灰から喰われるよりもいい仕事になるかもしれません。
本稿では初心者向けの村人講座のような、村人の挙動の基本事項を再確認したりはしません。
普通に振舞っているのに、いつも最後まで残されてしまう「あなた」のための方法論です。~*1
灰村人の視点が注がれるべきは、能力者の真偽よりもまず他の灰村人です。
あなたが生き残っていて、村が続いているのであれば、あなた以外の誰かの中に必ず狼が1人以上潜んでいるということです。多くの場合、最後の狼(LW)役としてステルスしている狼は、あなたと同じ灰村人の中にいます。
自分の潔白を主張する傍ら、他の灰村人の考察を怠らないことが重要です。が、灰考察の方法論は経験則に支配されることが多く、その経験則すら、個々の局面において通用するかどうかは博打になります。
以下に、灰考察の基点となるいくつかのポイントを挙げてみます。あなた自身が灰にいる場合、以下の点が他の灰からチェックされていることを念頭に置き、無用の誤解を招かないよう発言に気を配りましょう。
「多弁・寡黙」「論理的・感覚的」といった発言傾向は、ダイレクトに白黒を判断する直接の情報ではありません。
が、その人の考え方・狼を探す方法論を理解する上で重要な要素です。
寡黙だった人がある日(たとえば、2匹目の狼が吊られた日)を挟んで急に饒舌になった、とか、感覚的な決め打ちをしていた人が占先候補に挙がったとたんに論理的にそれを回避しようとした、という場合には黒要素です。
傾向分析(プロファイリング)とは要するにその人らしさがどこにあるのか?という点を明確にする作業です。
「多占寡吊」とか「寡占寡吊」などという言葉があるように、情報量の少ない序盤戦ではしばしば発言量そのものが大きな判断要素になります。
寡黙ステルス狼が流行ったひところに比べて「喋らない奴は狼だ」と主張するのは難しくなっている現状があり、寡黙吊の妥当性は揺らいできていますが、
それでも狼に本気の寡黙ステルスをされた場合は脅威ですので、その予防のための寡黙吊は行うべきです。*3
実際のところ寡黙な狼もいれば多弁な狼もいるので、発言量からだけでは白黒の判断はつけられません。
「序盤寡黙吊」は現在の人狼BBSではよく知れ渡ったセオリーであり、「訓練された狼」はそれを回避するためにとにかく喋ります。
「多弁な人は発言から白黒を判断できる」とよく言われますが、本当に恐るべき多弁ステルス狼は発言だけからは判断できません。発言内容から黒推定されないだけの自信があるから多弁にもなれるのです。
多弁な狼が寡黙な狼に比べて評価を下すための根拠が多いのは確かですが、「判断材料が多い」ことと「狼かどうか判断しやすい」ことがイコールでないのはいうまでもありません。情報の多さが、逆に判断を難しくしてしまうこともあります。
「狼は中庸に潜む」というのも、今や過去のセオリーです。多弁占が主流だった頃には中庸に潜むことでそれを避けられたわけですが、その後中庸占が流行りだすと、今度は多弁域にステルスする傾向が見られるようになりました。
そのへんはイタチごっこですので、「まとめサイト」の資料は参考程度にとどめ、直近のログを読んでトレンドを読むことが必要です。
上手な狼は論理矛盾のない嘘をつきます。したがって発言の論理的な無矛盾性は必ずしも白要素ではありません。
同様に、感覚的な決め打ちや根拠の薄い感情的な推察も時として狼の思惑を外すイレギュラーな要素になりえるため、完全に狼側に利する行為とまでは言いきれません。したがって非論理的・感覚的な発言傾向そのものは必ずしも黒要素ではありません。
考察の過程が論理的であっても、その論理の前提となっている経験的な根拠(仮定)には個人差があり、その考え方の違いが黒要素に見えてしまうことが多々あります。
基本的に「考察が論理的であるか否か」は個人の資質の問題であり、重要なのは結論と、そこに至るまでの筋道から見える、発言の意図です。
ただし、論理的な発言はその意図が他の村人にも明瞭に伝わりやすく、また前提や推論に間違いがあった場合にも修正が容易です。
実りのある議論を構築するためには、感覚的に得られた「結論」に何か一定の普遍性を持つ根拠を添えることが必要になります。
この発言傾向の判断軸に、襲撃や処刑が絡んだ場合には白黒を判断する材料になる可能性があります。
狼からすると、論理的な発言傾向の村人は論理的な反証によって説得し翻意させることが可能なので、推理が間違っていない場合でも終盤に味方にするため残しておいて損の無い相手です。
逆に感覚的な傾向の人が狼を疑っている場合には、翻意させようとするより喰うほうが巧手です。多くの場合、灰を減らさないように占先に挙げてから喰われます。
以上の前提から
(1)論理的な発言傾向の人は、自分が残っていることをもって「自分の推理・判断が誤っている」と判断するのは早計かも。
(2)感覚的な発言傾向の人は、自分が残された場合には「推理・判断が誤っている」可能性が高いと判断できる。
(3)感覚的な決め打ち傾向の発言をする人がその故をもって占先に挙げられているばあい、彼を占先に挙げている人の中に狼がいる可能性がある。
という程度のことは言えるかもしれません。
自分の考えを述べることに重点を置いているか、他人の考えを探ることに重点を置いているか、ということです。
1日につき20発言という制限がある中で、この両方をバランスよく配分できる人はそう多くはありませんので、この傾向性を見ることはプロファイリングの上で有益です。
「人狼BBS」は基本的に時間の経過とともに情報が増えることで成り立つゲームです。
穿った考察を行うためにはそれなりの情報量が必要なはずですので、序盤のうち村人は「考察型」の発言に(普通は)はなりません。*4
実際のところ、この差が見えてくるのは中盤以降です。
この傾向性判断で重要な点は、人狼がその人本人についての判断材料を隠す上でどういう手段を取っているか、を見誤らないようにすることです。
たとえば質問型傾向の人について「他の人との絡みが多く、オブザーバー的ではない」「積極的に狼を探しているように見える」故をもって白推定するのは早計です。狼が自分以外に注意を向けるために質問をばら撒いているかもしれないからです。
考察型傾向の人に対する「ログの読み込みが深い」とか「考察に偏りが無い」という根拠での白評価も同様です。狼は中立的な考察を見せることで他の灰同士の疑い合いを助長しようとしているかもしれないのです。
自分自身のカレントな白黒判断について自信があるかそうでないか、という違い。
ロックオンスタイルは感覚的判断傾向を持つ人に多いのですが、まれに序盤の論理的帰結に対して「それを確かめるために吊る・占うべき」という論理派ロックオンも存在します。*6
心配性スタイルは、考察が流動的で、誰かに特別強い疑いを持たず、確定情報と状況をもとにあり得るケースを残らず考察します。
しつこく念を押すなら、この傾向性そのものが白黒判断に直結するわけではありません。
スタイルの差が最も顕著に現れる領域で、ロックオン派にとって心配性な人は「判断を保留して敵を作らないようにしている狼」に、また心配性にとってロックオン派は「積極的ミスリードを狙っている狼」に見えるため、しばしば中盤の村人同士のいさかいの種となり、狼に利用されます。
この傾向性を判断に利用する場合は、その本人よりも、彼/彼女が疑っている対象の方を見ます。
ロックオン派の人が長期生存している場合、その人は狼に利用されている村人か、あるいは狼です。したがって彼にロックオンされている人は狼でない可能性が高いと言えます。
心配性の人が長期生存している場合、その人がカレントで疑っている対象は狼かもしれません。終盤に狼が心配性を煽り翻意させようとしている、あるいは狼本人がそういう演出をすることが考えられます。
セオリーでは「疑い返すのは不毛」とされていますが、自分が誰かにロックオンされた場合、その人を強く疑い返すことで見えるものもあるかもしれません。
少なくとも当事者2人以外には大きな判断材料を提供することが出来ますので、徹底的に打ち合うのも一つの手です。
-その「不毛な打ち合い」について傍観者的な位置にいる人は、村人共倒れを狙う狼かも知れません。
-村人同士だった場合、徹底討論することで「考え方・方法論の違い」をお互いに理解しあうことが出来るかもしれません。
-相手が狼だった場合、徹底抗戦の姿勢を見せることで相手が怯むかもしれません。確たる理由も無く討論を避けるようなら、それは疑う理由になります。
主張の一貫性というのは、序盤の議事録を見る上で重要な留意点です。
COタイミングについての意見は個人の実戦経験やゲーム以前の希望に基づいている筈なので、主張の一貫性を見る上での目安として後々の推理に役立ちます。
たとえば「潜伏中の能力者が喰われる確率を減らすためにも共有者は1CO1地雷」と言っていた人が、2日目に黒判定の占師がCOした後に「狩人の守護先にするために占は即対抗」と言い出したら「おや?」と引っ掛かりを感じるはずです。
潜伏による確率的な襲撃回避の有効性を重く見ていたのに、翌日の主張では狩人の守護の有効性を訴えているからです。
この点から「2日目の黒判定COを請けて狼が作戦を変えてきた?」という疑惑が浮かび上がります。*7
上の例示でも触れたとおり、潜伏には潜伏の、早期COには早期COのメリット・デメリットがあります。詳細は序盤戦略論ページを参照していただくとして、大切なのは
「無難な意見か目立つ意見か」ということでもあります。
このゲームではマイノリティは必要以上に目立つので、少数派にいる=目立つことを恐れていない=非狼、という推定をされることもしばしばです。
初日のCO論議の中で、ほぼ全員が占霊フルオープンを主張している中で立候補制全潜伏を主張している人がいたら、その人に話題が集中することになり、
また、きちんとその場で希望理由を述べていても、後々まで弁明を求められることになるでしょう。狼が最初からそんなリスクを背負って意見を言うわけがない、というわけです。
それに対して多数派の無難なCOタイミングを希望している場合は特にその点で追求を受けるでもなく初日・2日目あたりを無難にやり過ごせるので、ステルス狼のリスク回避としては多数派に与する方が理にかなっているように思えます。
ただし、狼はチームで動きます。
(1)3人のうち1人が目立つ意見を言い、もう2人は他の人の目線がその1人に集中しているのに乗じて無難な意見を言って多数派に紛れ込む。
(2)目立つ1人が最終的に能力者COする。
(3)「能力者視点ならその意見も分かる」ということで世論が落ち着き、結局狼は全員無事に占吊候補から外れる。
という展開も実際には少なくありません。ので、「少数意見を主張している」ことが即非狼だという積極的な根拠にはなりえません。
COタイミングについて、目立つ少数意見を言う人がいる場合、その人本人だけではなく、彼を擁護している人、逆に積極的な反対論を言っている人にも目を向けましょう。
追従なのか、仲間切りなのか。
村側能力者、特に占や狩を、狼は早々に食いに行きたい筈です。したがって序盤から能力者を探るような挙動をとることがあります。
村側でも狩人ならCOしている候補のうち真が誰なのかを知りたいでしょうし、ただの村人でも、狩人など潜伏している能力者を吊ってしまわないようにその所在を気にしますが、
それを口に出す必要がなく、またそれ以上に自分が非能力者だと狼に知られないように振舞うはずなので、発言傾向などに比べるとハッキリした黒要素と言えるでしょう。
逆に言えば、序盤から能力者の所在を探るような言動で利益を得るのは基本的に狼側だけです。
序盤から狂人に言及するのは、狂人本人か狼であることが多いようです。
「狂人を吊って損する」のは手数に余裕の無い終盤になってからの話なので、占霊のCOが出揃うまでは特別狼狂の別は村人が気にするようなことではありません。
したがって、たとえば占3CO時の騙り内訳に関するものなど状況に鑑みて必然性のある場合を除き、序盤から狂人を探すのは村人の思考ではありません
1夜のうちに、狩人は1人しか守れず、狼は1人しか喰えません。
人狼BBSは「不完全情報ゲーム」ですので、局面が移るまで狼も狩人も誰を喰うか/守るかはわからず、また最善手は相互の手筋に依存しているため、3日目の夜が明けるまでは狩人守護が成功するかどうかは予想できません。
確率を算定することは可能ですが、結局のところ、事前の確率に関わらずGJも初手占喰いも起りえます。
ただ、「狩人に守られ得る対象」が少ないまま局面が推移した場合、その選択肢の少なさは狼側に対して心理的プレッシャーとなり、逆に狩人にとっては敵の手筋を読みやすくなります。
守護対象が少ない状況で狼はCO済みの能力者襲撃を躊躇し、占先やグレー域ピンポイント狙いなど無難な襲撃を行いがちになりますので、村側はそれを利用して状況をある程度コントロールすることが可能です。
この効果が「狩人の抑止力」と呼ばれるもので、少なくとも序盤における狩人の存在意義は実際にGJを出すことよりもコチラに比重が置かれます。*9
よって、狩人は守護先が増えることに対して拒否反応を示します。
狼の意図を読む際に、変数は少ない方がより確度の高い予想が可能=抑止効果が高くなるからです。
実は人狼も守護対象が増え過ぎることを嫌う場合があります。
もちろん、上記の理屈の逆で襲撃の選択肢が増えることは人狼にとって有利な状況なのは確かですが、増えすぎた場合に守護先についての予想を立てにくいという点で狩人と同様の心理が働くことがあるのです。
たとえば、2日目共1占2霊0COの状況で狼にとって共を襲撃するオプションはリスクが小さい(占のどちらかを守っていると予想できる)わけですが、共1占2霊2の場合には占霊と同程度に共に守護が回っている可能性(狼側が霊騙を出したことから狩人が「狼は占霊の信用勝負狙い」と読んで)はそれなりに考慮しなければならず、襲撃先の選定には迷うかもしれません。
したがって、守護先が増えるのを嫌っているからといって、その人が狩人だとは限らないということが言えます。
また守護先が増えるような提案をしていること=濃厚な黒要素と言うわけではない*10、ということも同時に結論できるでしょう。
生者の白黒を判定できる占い師と、死者の白黒を判定できる霊能者。重要性という点では明らかに占い師の方が重要です。それは主に以下の理由によります。
(1)占い対象が白だった場合、白確定すれば確実な村側票を吊りによって失うことは恒久的になくなります。吊り対象が白だった場合、その1票は恒久的に失われます。
(2)占い対象が黒だった場合は吊って占の真偽ラインを確かめることが可能ですが、占われずに吊った対象が黒だった場合には占の真偽ラインを霊と結びつけることは出来ません。
(3)占い対象が白で黒判定を受けた場合には、占い対象になった者の視点から黒を出した占の真偽が判明し、それを根拠に考察を出すことが出来ます。霊パンダになった場合、死者の考察は死者にしか見えないものになってしまいます。
そして潜伏と早期COを併用する場合、潜伏の方が生存率は高いわけで、本来なら「占潜伏+霊早期CO」となるのが正しいようにも思えますが、
実際には「占早期CO+霊潜伏」の方針になるケースが圧倒的に多いのです。
その理由は「情報の確実性」という別の要因に帰せられます。
占結果が得られたとしても、COしているすべての自称占い師の結果が揃わなければ確定情報ではありませんので、考察の材料としては不十分な役割しか果たせません。
もし投票COを使用せず、占が潜伏した場合、初手で灰襲撃されれば「その人が占い師だった可能性」を最後まで引きずって考察しなければならないわけで、占い結果は確定情報にはなりえなくなります。
それを厭う心理から「投票COを使わないなら少なくとも占は初日CO」という意見が多くなります。*11
また、早期にCOして狩人の守護対象になったほうが、人狼は占を襲撃しづらいのではないか、という希望的観測が出されることもあります*12。
(以下編集中)