4期


メイ面の歴史
リセット:2008/1/18 18時00分
更新開始:2008/1/20 18時30分

統一国:水戸藩(君主:御老公 上層:)

イベント面・3期統一記念に、青森・愛媛にそれぞれ地域依存兵でりんご農家・みかん農家が追加。
中立時、実行できないコマンドは自動的に鍛錬に変化。

序盤 開始前〜1520年

初期仕官制限は12人で板系を中心にカンスト国が多数生まれ、序盤から激しい戦いに。

東北地方は登用で人数を伸ばした癒しとくつろぎの商店街と、初戦の2正面戦に勝利した罪袋撲殺隊が制圧した。
関東地方は青森林檎農家組合に勝利した日本プロ野球連盟を中心に
NHKアルゴリズム行進隊、兄貴と弟の悩み事相談所などが領土を分け合う形に。
中部地方はそれほどの強敵がいなかった水戸藩が順調に制圧。
そのほか、関西地方を市況2国、中国地方を大軍事黄金樹朝銀河帝国、
南九州地方をオダギリ煮会と竹取飛翔国がそれぞれ確保し勢力を伸ばす。
これら大国間の隙間でやや規模の劣る国同士が1対1の戦争を展開する。

大国間の戦争の口火を切ったのは軍事と市況2。[1508年9月]開戦
人数的には互角の勝負かと思われたが、軍事が終始優勢に戦い、市況2国が滅亡する。[1516年7月]

続いて野球が兄貴の支援を得て罪袋と開戦。[1516年7月]開戦
これに水戸藩が罪袋側に就いて参戦を表明、野球+兄貴連合vs罪袋+水戸連合の戦いとなる。
また同時期に癒しとくつろぎvsNHKも開戦[1520年3月]し、東国が活発に動き出す。
さらにこの戦争にヒトゲノム研究所が、癒しとくつろぎ側に就いての参戦を表明した。[1520年5月]
罪袋+水戸vs野球+兄貴の戦いは群馬−長野−愛知のラインで膠着するものの、
NHKvs癒しとくつろぎ+ヒトゲノムの戦いではNHKが圧倒的な勢いの差を見せ付け、
まずヒトゲノム滅亡[1520年05月]、次いで癒しとくつろぎも滅亡する[1521年04月]。

西国では軍事が市況2戦勝利の勢いを維持したままサイコパスと開戦。
46人対6人と圧倒的に人数で劣るサイコパスは[1517年9月]、早朝の奇襲を仕掛けるも敗れ去った。[1518年7月]
続いて軍事は隣で長期のタイマン戦をしていた睡眠不足連盟、ちくわ部に同時布告する[1524年10月]開戦。

九州は長期にわたり戦争をしていたりとばす組と纒向大倭国がそれぞれ戦争を終え、[1516年8月、9月]
同じく長期戦になっていた竹取飛翔村もうななん城大分をついに攻略する[1520年09月]。
竹取飛翔村は間を置かずに纒向大倭国へ宣戦布告した[1524年5月]開戦。
緒戦の勝利以来戦争のなかったオダギリ煮会は戦争を終えたりとばす組と開戦[1520年9月]。


中盤 1520〜1530年ごろ

●東北地方[1520.3]〜[1521.4]
NHKvs癒しとくつろぎ+ヒトゲノムの戦争は早期決着した。
東北・関東地方東部沿岸は[1532年3月]の罪袋戦開始まで、以降約10年間の平穏を保つ。

●関東・中部地方[1516.7]〜[1528.8]
野球+兄貴連合vs罪袋+水戸連合の戦いで最大の激戦地となったのは長野であった。
4カ国それぞれが接する長野は、最も激しかった1521・22年の2年間で18回もの落城を数えるほどであり、
膠着状態はいつまでも続くかに思われた。
兄貴国は水戸藩の拠点・奈良の城壁まで幾度か到達するものの、削りきる事ができず攻めあぐねる。
だが[1524年10月]、罪袋が埼玉を奪取したことで状況が動く。
武将の撤退もままならない間に野球領は攻撃を受け、東京、山梨を失陥。
[1525年3月]、日本プロ野球連盟は滅亡する。

2対1の状態になった兄貴は、愛知を拠点に静岡・長野へのカウンター、及び奈良への攻撃を繰り返すも、
最終的には資金面でも押し切られる形となってしまい、[1528年8月]兄貴と弟の悩み事相談所は滅亡した。

●中国地方[1524.9]〜[1532.11]
1ヶ月前倒しで始まった軍事vs睡眠不足&ちくわ部の戦争は、軍事の攻勢を両国が凌ぎ続ける形で推移した。
軍事はまず睡眠不足連盟の篭る兵庫を攻略、[1524年10月]同国を滅亡させる。
一部遺臣はそのままちくわ部に仕官し、抗戦を続けた。
ちくわ部は石川を堅守しつつ遠征で隠岐を奪い、ここを足がかりに島根、
一時は広島までも脅かしたものの、8年の戦争の末、ついに[1532年11月]滅亡を遂げた。

●九州・四国地方[1520.9]〜[1532.7]
[1523年8月]、りとばす組はオダギリ煮会を滅亡させ、
翌[1524年7月]、竹取飛翔村も纒向大倭国を開戦から2ヶ月で滅亡させる。
九州・四国を二分する勢力となった両国は、即座に互いへ宣戦布告した。[1528年5月]開戦

北は対馬から南は宮崎と、領土が分散した形のりとばす組は不利な守りを強いられ、
開戦からの6ヶ月で福岡、山口、対馬の北部3都市を失う。
戦いの主戦場は高知、愛媛、宮崎となり、竹取飛翔村が優位な状況を作っていった。
昼夜をわかたず激しい戦いが続いたものの、本拠徳島の陥落の直後、りとばす組は滅亡した[1532年7月]。


ラス4への道 1530〜1550年ごろ

東北関東:NHK
中部北陸:罪袋
東海:水戸藩
中国:大軍事
九州四国:竹取飛翔

[1532年3月]NHKvs罪袋、開戦
[1537年5月]NHK滅亡

[1536年9月]水戸vs竹取飛翔、開戦
[1544年1月]軍事vs罪袋、開戦
[1545年7月]軍事滅亡 [1552年8月]竹取滅亡

ラス5が出揃い、各国がラス2を睨んだ展開に。

まず罪袋撲殺隊がNHKアルゴリズム進行隊と開戦[1532年3月]。
開戦当初こそ人数に勝るNHKが罪袋を押し込むものの、罪袋も東北の要衝山形を拠点に抗戦する。
戦況が膠着したかに思われたところ、滅亡したりとばす組[1532年7月滅亡]、ちくわ部[1532年11月滅亡]の
主力の獲得に成功した罪袋が反撃を開始。
NHKの拠点であった栃木陥落を機に一気呵成に関東をなだれ込み、NHKが滅亡する[1537年5月]。

中部地方では九州・四国を制圧した竹取飛翔村が山口・対馬を大軍事黄金樹朝銀河帝国に割譲、
軍事より和歌山、三重の割譲を受けて水戸藩への進路を確保し宣戦布告する[1536年9月]。
進路を失っていた軍事は竹取-水戸の戦争に介入せずに静観する態度をとる。
このとき、介入を模索した軍事と竹取の間に外交的な軋轢があったようである。
(当初、軍事は水戸藩戦の共闘を提案し拒絶され、一歩下がって対罪袋戦の進路確保のための富山占拠のみに介入を留める案も提示したが、これも拒絶。
 自分たちは進路を提供したのに同盟国とも思えぬ態度…ということから一部の武将からは対竹取戦が提案されたほどだった)

竹取と水戸の戦争は三重-奈良間での攻防で開始する。
計略Pで大きく劣る水戸は初動こそ竹取の攻撃に耐えて三重一斉を展開して見せたものの、
次第に攻勢を強めていく竹取の攻撃に奈良を失い、岐阜に後退して防戦する展開となる。

竹取と水戸が戦争を始めてまもなくNHK戦を終えた罪袋は水戸より富山の割譲を受け軍事と開戦[1544年1月]。
誰もが激戦を予想したこの戦争は、罪袋が軍事の前線を突破すると一気に対馬まで打通し
[1545年07月]に軍事滅亡であっさりと決着がついてしまい、罪袋の強さを印象付けた。
竹取-水戸の戦争よりも遅く始まったにも関わらず、こちらの戦争の方が先に終わってしまった。

軍事滅亡により竹取-水戸の戦争の情勢も変化する。
竹取は同盟国を失っただけでなく、軍事との外交上の軋轢から軍事主力の大半は水戸へ流入し
人数で大きく引き離されるばかりでなく、計略Pの優位さえ追いつかれてしまう。
この結果、水戸の一斉に奈良を奪還された竹取は三重に撤退、そこで防戦する展開になる。
優位に立った水戸ではあるが、三重を固める竹取に手間取り、戦線は膠着した。

軍事戦を終えていた罪袋はこの膠着で長期間戦争から遠ざかる可能性を嫌い、
同盟国支援の名目で竹取に宣戦布告する[1552年4月]。
水戸はこの押しかけ支援を不要と連絡するも罪袋はこれを無視、竹取の後方に雪崩れ込む。
罪袋に計略Pを与えるのを嫌った竹取は、ほぼ全軍を三重に集めて水戸と対峙を続け
罪袋介入よりわずか4ヶ月後の[1552年8月]に滅亡する。

これによりラス2は水戸藩、罪袋撲殺隊となる。
人数では実に70人差をつけて水戸藩が優勢なものの、領地が乏しく資産は不利。
また常に強国を相手に激戦をものにし続けてきた罪袋の精強さをを考えると
どちらが優位とも一概に語れない国力比となる。

最終決戦は[1560年8月]開幕。
大阪-奈良間で主力同士が激突する展開から始まる。

最終決戦 1560〜1584年  〜六日間戦争〜

開戦初日、水戸藩の大阪連続一斉、罪袋撲殺隊それを防ぎきり初日を終える。
2日目、水戸藩は東部の制圧に成功。懸案であった資産の不利は解消へと向かう。

●【支配】[1564年09月]水戸藩国のまおは大阪を支配しました。(5日22時5分)

水戸藩は罪袋撲殺隊の拠点である大阪を支配。
それ以後、人数で大きく劣る罪袋撲殺隊は劣勢に回るが、前線を徐々に西部に移しながらも粘りを見せる。
最期1584年09月、宮崎の地にて罪袋撲殺隊、滅亡。水戸藩の統一となった。

リアル六日間の長きにわたって続いた戦いだったが、最後には水戸藩君主の出兵によって罪袋撲殺隊が滅亡するという劇的な結末を迎えた。


【声明発布】水戸藩 御老公(三代目)より全国へ:「これにて、一件落着!」(10日22時31分)
===============[1584年10月]================= (10日22時30分)
【滅亡】[1584年09月]罪袋撲殺隊は滅亡しました。(10日22時30分)
【支配】[1584年09月]水戸藩国の御老公(三代目)は宮崎を支配しました。(10日22時30分)
[勝利] 1戦目:御老公(三代目)は宮崎の城壁を突破した!(10日22時30分)
●【戦闘】御老公(三代目)(水戸藩)は宮崎(罪袋撲殺隊)へ攻め込みました!(10日22時30分)

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