週刊東洋経済 2006年7月15日特大号


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週刊東洋経済 2006年7月15日特大号

「ゲーム人口を反転させた継承者」 岩田 聡/任天堂社長 激白90分

803 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 21:07:42 ID:IoH4+ars
週刊東洋経済(7/15号)
「ゲーム人口を反転させた継承者」岩田 聡 任天堂社長激白90分
http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2006/0715/index.html

ゲーム業界の雄、任天堂が劇的な社長交代を発表したのは2002年。
半世紀にわたって君臨したカリスマ経営者、当時74歳の山内淳が選んだのは、当時42歳の岩田聡だった。
マスコミの関心は、32歳の年齢差に向かった。6人が代表取締役となる異例の集団指導体制。
岩田は最年少、しかも2年前に中途入社した"外様"だ。ほとんどの記者が岩田をノーマークだった。
「ゲームは集団指導体制は駄目だよ」「山内のカリスマあっての会社。これで任天堂も鈍くなる」。
後継者と新体制に、業界人やアナリストは辛辣な言葉を投げかけ、それがマスコミの紙面に躍った。
しかし、それから4年、証明されたのは山内の見事な"目利き"ぶりである。

804 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 21:08:16 ID:IoH4+ars
現在、任天堂は絶好調。一昨年から投入している携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」シリーズの売れ行きは店頭で品切れを起こす勢い。
国内累計販売台数は史上最速で1000万台に達しようとしている。
「脳を鍛える大人のDSトレーニング」や「英語漬け」といったソフトが、
女性、中高年などこれまでゲームに無縁だったユーザー層に普及し、一種の社会現象化している。
また、「PS(プレイステーション)」の後塵を拝してきた据え置き型でも、今秋発売の新型機「Wii(ウィー)」に期待が集中。
世界最大のゲーム見本市「E3」では今年、任天堂ブースに記録的行列ができた。

山内は岩田に何を見いだし、何を託したのか。「Wii」の説明が止まらない岩田にこう聞いてみた。
何を継承し、何を変えたのですか。(敬称略)


806 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 21:08:48 ID:IoH4+ars
―――驚異的なDSブームです。
日本のゲーム市場は1997年から04年まで右肩下がり。ものすごい危機感があった。
このままだと僕らに未来はない。流れを変えたい、再びゲーム人口を増やしたい、そういう切実な思いがDSの出発点です。
任天堂がファミコンを発売したのが83年。以来、ゲーム業界はハードの性能を上げ、より豪華なゲームを作ることを優先してきた。
でも、市場が縮小に転じ、今までと違うものを作らないといけない。どうすればいいか。
生活必需品なら、お客様に聞けばいい。でも、僕たち娯楽の世界は、お客様を驚かせるのが商売。
だから、自分たちで考える。ゲームをやらない人はなぜやらないのか、やめちゃった人はなぜやめたのか。
山内からも提案をもらった。「2画面にするくらい新しいものを作ったらどうや」と。
これを受けて社内からタッチパネルをつける意見が出た。

807 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 21:09:19 ID:IoH4+ars
私の問題意識、山内の提案、社内のアイデア、いろいろ組み合わさった。
結果としてDSは、普段はゲームをしない人が触ってくれるものになりました。
私のまわりの親戚、知人からも[あのゲームは面白いですね」と言われる。[えっ、ゲームやるようになったんですか?」(笑)。
記者さんもうちのゲームをやる人はいなかったが、最近は「脳トレやってみたら○○歳でした」って(笑)。


809 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 21:09:50 ID:IoH4+ars
―――計画どおりだと。
狙ってできるもんじゃない。ある程度は努力や先見性、発想ででできるが、今のDSはそれを超えている。
この状況を狙って作りましたなんて言ってるようでは、われわれの先は知れていますよ。
社員に錯覚させないようにするのも私の仕事です。

――慢心の警戒?
予測できなかった幸運がたくさんある。たとえば私は脳トレを出そうよと言い始めた張本人。
ソフト2本で500万本超えちゃった。でも、ここまで当たるとは思わなかった。
山内の口癖がありましてね、初代ファミコンが大ヒットした当時から言っていたらしい。
[自分たちの力と幸運を冷静に分けて考えろ。幸運に恵まれたことを絶対に忘れるな」って。

―――自分たちの力とは、再現可能性があるものですか。
そう。力があって努力したほうが成功のチャンスは増えます。
でも、力があって努力すれば絶対に成功するほど、現実は簡単じゃない。
すべて自分たちの力だと思った瞬間から転落が始まる。

810 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 21:10:27 ID:IoH4+ars
―――DSは04年12月発売。最初から売れたわけじゃなかった。
それは、ユーザー層が広がったことの裏返し。ゲームに関心のあるお客さんは、すぐに店頭に走って買ってくれる。
でも、ゲームをやったことがない方、興味のない方に情報が伝わるのは時間がかかる。
自分の家族や友人、会社の同僚から「あのゲームは面白いらしいよ」って何回もロコミで聞いて、やっと興味を持つ。
そこから実際に店頭で買ってもらうにはもっと時間がかかる。


813 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 21:10:58 ID:IoH4+ars
―――DSと同時期、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が携帯ゲームに参入。
PSPは発売日にすごい行列ができて話題を独占した。当時は焦ったでしょ?
そうでもなかった。
忘れもしません、DSの発売日の12月2日、脳トレの試作品を持って東北大の川島隆太先生に会いに、飛行機で仙台に行った。
今までと違ったソフトができそうだ、という予感があった。
それに、ゲームで犬を育てる「ニンテンドックス」も、事前調査で女性の反応が予想以上によかったんです。
こういうものをいくつか出していけば、どこかでゲームに対する敷居が下がり、理解されるだろうと。
ただ、その変化がいつ起きて、それがどれくらいの大きさになるのか、まったくわからない。でも、信じてやるしかなかった。
だって、ゲーム人口はどんどん減っていくばかりで、従来の延長線で頑張っても、しょせんは延命治療にすぎない。
僕からみれば、それは何もしないに等しいわけですよ。私が社長をやる意味もない。


815 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 21:11:29 ID:IoH4+ars
―――4年前の社長就任当時は、まさに「Whois」でしたよね。
そりゃあそう。私はヨソから来たし、若造ですし。引き継ぐべくして引き継いだ人間だとは自分でも思っていない。
今でもそう思いますもん。皆さん、さぞ驚かれたと思う。

―――山内さんからはどんなタイミングでどういう言葉で?
明確な後継の言葉をもらった記憶がない。私は任天堂にお世話になった人間です。
恩返しできるならと思って任天堂に来た。こんなことになるなんて、これつぼっちも予想しなかった。
ただ、まず経営企画室長をやったんですが、[ん?」って感じることが少なからずあって。
禅問答みたいな話を山内がするわけです。「なりたくてなれるわけじゃないけど、逃げることはできる」とか。
ただ、山内の任天堂に対する思いとゲーム業界への危機感は痛いほど伝わった。
もし本当にそういう場面が来たら逃げない覚悟だけはしよう、なんて思ったりもして(笑)。
ただ、本当に聞かされたのは発表直前。やっぱり、びっくりしました。

816 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 21:11:59 ID:IoH4+ars
―――お世話になったとは?
私はもともとはゲームのプログラマー。
開発の責任者をしていたら、不幸にもその会社が傾いちゃって、私に社長の役が回ってきた。
そのときに任天堂に助けてもらった。
僕たちが作ったソフト(注"「星のカービィ」など)を、任天堂が世界中で積極的に販売してくれて、おかげで再建が軌道に乗った。
しかし、一開発者がいきなり社長ですから、経営のことなんかさっぱりわからない。
当時、僕にとって、山内さんは経営の先生だった。年に数回、お目にかかって、お話を聞かせてもらって。今から思えば、あれは学校みたいなもんでした(笑)。

―――マネジメントの原風景?
それが原点です。物事の優先度のつけ方、やらないことを大胆に捨てる姿勢、物事は中途半端じゃいけないということ、たくさん学んだ。

817 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 21:12:30 ID:IoH4+ars
―――当時は、代表取締役6人による集団指導体制に否定的な見方も多かったですよね。
心配された方はたくさんいたと思います。彼らと私はものすごい量の話をしてる。
当然、私一人が吠えるだけでは、任天堂は動きません。
でも、みんな山内とずっと一緒にやってきた。「今のままじゃ駄目だ」という危機感はすでに共有していた。
「山内時代と岩田時代」とおっしやいますが、私は変えているつもりはない。大事なことは変わらない。
娯楽産業では、同じことをやっているとお客さんは必ず飽きる。次から次へと新しいものを提案しないと会社は栄えない。
成功体験に埋没すれば簡単に会社はおかしくなる。人と違うことをやるから価値がある。
そういう基本的な考え方は山内時代と全部共通です。

819 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 21:13:01 ID:IoH4+ars
ただ、環境が変わればやり方も変わる。山内は社訓も社是も残さなかった。
その理由を、私はこう解釈している。社訓や社是を言葉にすれば必ず時代とともに古くなって合わなくなる。
大事なのは根っこの部分であって、環境が変われば最適解は変わるからだ。
山内が若かったらどう考えるだろうか、って私は考えます。
だからものすごく継承してるんだと思うんです、多分。

―――その環境変化がものすごい。
そう。人類の歴史上、最も激しい変化が起きている時代かもしれない。
だから、いかに変化に敏感であり、アンテナを張って、組織で共有できるか。それが本当に重要。


821 名前:名無しさん必死だな[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 21:13:54 ID:IoH4+ars
―――危機感を共有するには。
特別な仕掛けはいらない。私は"繰り返し"だと思う。
うちの社員は「社長は何度同じことを言えば気が済むんだ」って思っているはず。
でも、世の中は1回聞いて受け入れられる人ばかりじゃない。5回聞いてやっと腹の中に落ちていく人もいる。
頭の善しあしではなく、変化を受け入れられるかどうか。
それは背が高いか低いかと同じ個人差です。
だから私は、会社の中で同じことばっかりしゃべってるんです(笑)。


-------以上、おわり
  • 文中の「山内淳」は「山内溥」のミスだと思われ