麻生が「解散先送り」を決意した夜2


麻生が「解散先送り」を決意した夜

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深層ドキュメント 麻生が「解散先送り」を決意した夜(2/2)

2008年11月10日 文藝春秋
■「籠抜け」の相手
 
 麻生の夜の振る舞いに関しては、永田町でもメディア内でも批判が多い。毎夜、ホテルのバーで秘書官らと葉巻、ブランデーを遣る、クールダウンのために必要な息抜きだと官邸サイドから解説は出回るが、それは表向きの話である。太田、北側との極秘会談に象徴される、政府・与党の要人との密会のための隠れ蓑だけではない。日中、官邸では取れない本音の情報を集めるための「籠抜け」の場でもあるのだ。
 
 所信演説と代表質問を終えた日曜日、十月五日午後七時。新聞各紙の首相動静ではただ東京・内幸町の帝国ホテルとしか記されていないが、麻生は会員制バー「ゴールデンライオン」を籠抜けして階上のスイートルームに入った。相手は、日銀総裁白川方明の懐刀といわれる国際金融のスペシャリストである。同席者は、麻生の外交演説に手を入れるスタッフライターら数人だった。
 
 麻生はハンバーガーを頼み、同席者にサンドイッチを勧めた。コーヒーだけの勉強会だ。いきなりこう言った。
 
「いいか、これからオレの意向は百%、おまえから白川総裁に伝えろ。白川の意向も百%、おまえを通じてオレに伝わるようにしろ」
 
 活発な議論になった。米国経済は既に金融危機から景気減速が一番の問題になっていること、欧州各国は「公的資金合戦」の様相で、取り組みの遅れた国の銀行が狙い撃ちされる危険が出てきたこと、リスクマネーを欧米が大量に使っているため、日本や新興国が危機に瀕した場合は出資者候補が見あたらないこと……。
 
「この米国への支援が実れば、インド洋の協力に勝るとも劣らず、日本の評価につながるだろうな。だが、アイスランドがクラッシュしてドイツがあわてて預金者保護に走る時代だ。つまり、G7の大国だけの御身大切ではいかん。G7が小国も守る、そういう国際協調を日本が主導すればいいわけだな。違うか」。そうつぶやいた麻生の頭には、翌週のG8(主要八カ国)首脳の緊急声明に続き、ASEMでアジア・環太平洋諸国の連携を確認し、十一月の米大統領選直後の金融サミットで中国、インド、ブラジルなど新興国を含む「G20会議」につなげる構想が生まれた。
 
 他方、機動的に財政・金融政策の首相直轄チームを創設する構想も議論の俎上にのぼった。財務省と金融庁、日銀の垣根を越えた組織――「麻生版アンポン」。吉田茂が戦後復興のため活用した「経済安定本部」の略語も飛び出し、麻生は苦笑いした。「アンポンか、古い話を知ってるな」。
 
 十月十一日土曜日午後六時すぎ。浜松への出張のため、JR東京駅に着いた麻生だが、これもまた籠抜けだった。丸の内口から貴賓室に入った麻生が握手したのは、八重洲口からたどり着いた駐日米大使シーファーである。
 
 時間は三十分しかない。通訳も入れず、麻生はサシで本題に入った。
 
「G20構想、これはどうだ。日本の成田空港近郊でサミットを開催する用意もある」。シーファーは自分でメモを取った。
 
 その夜、予定より一日早く、米国の北朝鮮に対するテロ国家の指定解除が固まり、米大統領ブッシュから浜松のホテルにいた麻生に電話が入った。安倍、福田二代の内閣でさえ忌避してきた指定解除を受け入れざるを得ないのは、保守層固めを総選挙対策の主軸に置く麻生にすれば失点である。外務省の情報収集の甘さも印象づけた。だが、会談の中身はブリーフでは北朝鮮問題が中心とされたが、実は大半が金融危機対応だったのは麻生の救いだった。G20構想を麻生が電話会談で持ち出すと、ブッシュは「頭の中に入っている」と答えた。シーファーから既に早足の報告が届いていたのである。
 
■年末解散はあるか?
 
 この間、メディアの政局解説記事は麻生の豹変の真意を読み込めず迷走を続けた。曰く、自民党の独自の世論調査の数字が悪かったから解散を見送ったのだ、曰く、一日でも長く政権にいたい麻生はもとから早期解散の腹はなかったのだ、などなど。
 
 麻生政権誕生以来、自民党が全国規模で行った独自の世論調査は一回しかない。九月二十七、二十八日実施の分がそれで、麻生のもとには二十八日夜、選対副委員長の菅義偉が手ずから速報値のデータを持ち込んだ。
 
 AからCまで当選可能性がランクづけされた一覧表で、確かに当選確実とされたAからBプラスまでの選挙区は小選挙区三〇〇のうち、民主一二〇、自民八五と分は悪い。ただ、菅が強調し、麻生がうなずいたポイントは、BマイナスからCプラスまでのボーダーラインの選挙区の実態だった。
 
「民主支持層はほぼ九割以上が民主に投票と答え、自民支持層は五割強しか自民に投票と答えていません。つまり民主は伸び切ったが、自民はまだ伸びしろがある」。その上で自民党選対が弾いた議席獲得予想の中間値は自民二一五、民主二一四。実は冒頭解散を絶望視する数字ではなかったのだ。
 
 ただその後金融危機を受け冒頭解散戦略をひそかに見直し始めた麻生や菅にすれば、なお自民に伸びしろありとの観測は解散先送りの根拠にはなった。だが、これは麻生政権の情報管理の甘さでもあるのだが、当選確実圏内の数字を中心に「調査結果が悪かった」との観測がひとり歩きし、麻生が解散に尻込みしているといった解説がまことしやかに党内外に流布した。
 
「しばらくは全国調査はやらんでいい。調査の良し悪しで解散時期を決めるのか、と思われるだけだ。ボーダーラインのトレンド調査だけにしろ」。麻生は党選対にそう指示した。八五選挙区だけを対象に十月十八、十九日実施した調査では、CマイナスからCプラス、あるいはBマイナスに転じた選挙区が七つあった。これを好転の兆しとみるかどうかは別にして、少なくともその数字を聞いた麻生は党選対幹部にこう指示したのである。
 
「このボーダーの選挙区候補の年末の選挙資金手当は思い切って積み増すんだな」。年末の手当――「十二月解散、一月総選挙」の布石へ大きく舵を切ったことを示す麻生の言葉だった。
 
 だが、早期解散の風を吹かせて国会と政局運営の主導権を民主党から奪い返した麻生の一カ月は、小泉の言う魔法ではなく、いわば猫騙しのような初手の成功に過ぎないかもしれない。
 
 民主党もまた、早期解散を希う戦略を徐々に転換し、長期戦も辞さずとの姿勢を強めつつある。「金融機能強化法から第二次補正予算に向けてが国会攻防の冬の陣だ。政権を追い詰め、解散すらできない麻生の真実を国民の前にさらせばいい」。幹事長鳩山由紀夫ら国会対策の司令塔を成す面々は完全に頭を切り替えた。麻生の「魔法」の効果は既に消えつつある。
 
 だが報道各社の世論調査でも民主党は一向に伸びて来ない。麻生内閣の支持率同様、完全に勝ち切れる数字ではないのだ。何より九月七日時点で党が独自に実施した一九四の小選挙区調査では、優勢度がプラスの当選確実圏内に入ったのは八〇に過ぎない。とくに東京は実施した一八選挙区のうち、拮抗状態が多数を占めたものの、優勢度プラスはわずかに五だったのである。
 
「私と麻生首相のどちらが総理にふさわしいかは確かにダブルスコアであっちが上だが、その方が民主党が目立って、政権交代が争点になるから何の問題もない」。そう笑い飛ばす小沢も内心では党の現状が気が気でない。
 
 十月二十二日深夜、福岡・博多のホテル。現地の候補予定者の陣営幹部と連合福岡の幹部を相手に、小沢は、後で出席者たちが「まさに、怒髪天をつくだ。あんなに激高した小沢さんを初めてみた」という調子で吠えた。
 
「いつから横綱相撲をやっているつもりなんだ! もう政権交代したつもりでいるのか。あしたから五分おきに一日五〇カ所で街頭演説をやれ」
 
 だがその翌日、小沢はインド首相シンとの会談を体調不良を理由にキャンセルした。首相候補の「病弱」が民主党支持を弱める危険だけでなく、民主党幹部たちには別の不安が現実のものとなりつつある。
 
 ただでさえ解散は首相の麻生が一番都合のいい時期を見計らって打てる、政権側に有利な制度だ。針の穴を通すような細心の注意でこれからの国会を引き回さなければならないのに、ここ一番で小沢が姿を消し、連絡も取れなくなったらどうするのか。
 
 麻生自民も小沢民主もここまで、総選挙の勝利に万全の自信を持てないできた。麻生はひそかに十月解散戦略を豹変させてはいたが、それでなくとも早期解散の機運が急速に萎み、両党が長期戦の損得計算に頭を切り換えた根底にはその自信のなさがある。
 
 金融法案などで十一月国会がよほど混乱しない限り、おそらく麻生は十一月十五日から米国で行われる緊急金融サミットをこなし、十二月末まで臨時国会の会期を延長して、定額減税を盛り込んだ第二次補正の成立を狙うだろう。民主党がばらまき批判を正面に掲げて補正反対に回り、野党が多数の参院で待ったをかければ、再び十二月解散―一月総選挙の風が吹く。
 
 だが法人税収入の目減りで税収不足は必至の情勢であり、日本経済の減速は中小企業の倒産といった形で社会不安を増しかねない。その時、世論の批判の目は、景気対策の実があがらない麻生政権へ向かうのか、予算に反対する民主党へ注がれるのか。
 
 十月三十日、麻生は緊急の記者会見で「政局より政策、何より景気対策だというのが圧倒的な国民の声だ」と語り、ようやく解散先送りを認めた。
 
 麻生も小沢も正念場である。政権交代が実現しなければ議員辞職も辞さずと明言してきた小沢はもちろん、保守本流を自任する麻生とて、政権を失った首相・総裁として自民党史に記録されるのは許し難い。来夏の東京都議選を考えれば、年末解散を見送る場合、残るは来年度予算を無事成立させての来春か、来秋の任期満了選挙しかない。「魔法」も二度目は通じないだろうから、十二月の判断が麻生の政権の命運を握ることになる。(文中敬称略)
 
(文藝春秋12月号「赤坂太郎」より)