原子力発電所


原子力発電所について

 世の中は良くなっている。これからも良くなることだろう。もちろんそれは人類の不断の努力によってのみ達成されるんだけれど。

 そのことを教えてくれたのが「環境危機をあおってはいけない」と言う本だ。客観的なデータにもとづいており、これはヨーロッパでは議論を呼んだらしい。すべての環境保護団体は読むべきだとおもったのだが、アマゾンの書評を見ると、目が曇った人たちにとっては、こういうデータの本も読めなくなっているから閉口だ。やはり数学は大事だと思うがこれは余談。

 で、この本についての他人のコメントを読みたくてWebをたどってたどり着いたのが産業技術総合研究所のコメント

 この人は特にエネルギー問題に対しては危機感を抱いているみたいだ。なにが危機なんだろう。全然危機ではない。なぜなら、現在のエネルギー問題とは資源問題じゃなくて、人間側の心理的な問題だと僕は思っているから。この心理問題を解決しさえすればいいのだ。

原子力発電はそもそも危険なのか?

 それはなぜか。僕は原子力発電に大きな期待をしているからだ。以下は産業技術総合研究所のコメントより引用

「原子力は電力エネルギーを生産するのに迂回経路が多く高くつく。ウランは資源的にも多くない。(略)確率的には10000基の原子力発電所は年間に平均20回の重大な事故を起こすことになる。ひとたび事故を起こせば甚大な被害が出るのは皆が知るところである。」

 迂回経路が多く付く話や、ウランが資源的に多くないことは、原子炉(および核研究)の技術的な話だったり、ウラン再利用の話で解決しなくてはならない問題かも知れない。でも解決不可能な問題ではない。で、問題は引用最後の行、「ひとたび事故を起こせば甚大な被害が出るのは皆が知るところである」って?みんなが知るところ??いや知りません。甚大な被害とは?根拠は?引用を続ける。

「さらに採掘時に発生する尾鉱は原鉱の8割に近い放射性物質を含み,広範囲にわたって環境汚染を生じている。炉の運転により発生した放射性廃棄物の貯蔵は技術的にも経済的にも厄介[7]である。放射性廃棄物と廃炉−正確には永久管理と呼ぶべきだが−の費用は経済を圧迫し,100〜200年以上の長期的視点に立つと原子力のメリットは消滅する可能性が高い。原子力(分裂炉)エネルギーを将来のエネルギー資源としてとらえることはとてもできない。」

 とにかく「放射能は甚大な被害をもたらし、環境汚染を生じさせる元凶である」というのが大前提になっている。だから放射性廃棄物の貯蔵問題や、廃炉について非常なコストがかかるものだという幻想がある。面白いことに、この幻想はこの人だけではなく、世界中に広まっている幻想だ。

 かつて原子力発電所が人的に「取り返しの付かない甚大な被害」をもたらしたことはない(チェルノブイリ事故の健康影響)。そりゃ28名は死んださ。放射能というものは、人が死ぬレベルがあって、それを超えるレベルの放射線を浴びれば死ぬ。火を使って火に近づきすぎれば焼死するようなたぐいのものだ。

 健康被害もほとんどない。ほとんど、というのは小児甲状腺ガンについては統計的有意に事故の影響で増加したことから。

一番の被害は人間の無知からだった

 「人は放射能になぜ弱いか」によると、ヨーロッパではチェルノブイリ事故後、奇形児が生まれることを恐れた妊婦による人工中絶が行われたのである。(手元にこの本がみつからないので数字をWebで探ったらおよそ10万〜20万もの!)まったく、必要のない中絶により、これだけ多くの命が失われたのだ。

 ふだん神など信じない僕だが、これは罪ではないか?本当にそう思ったものだ。この事実を知ったときにはまさに驚愕したものである。また原子力発電所で事故が起きたときに、こうした無知から同じような事件が起きやしないか?

 だから、「甚大な被害をもたらすことは周知」などと曰い、解決方法があるのにもかかわらずそれを放棄するような連中は大嫌いなのだが、たしかにいまの放射能に対する知識レベルでは甚大な被害をもたらすことは残念ながらあり得る話ではある。

原子力発電所の何が危険か

 放射能は正しく扱うことで危険ではない。ただし、甲状腺ガンなど、原子力発電所の周りでは統計学的有意な数字で発病率が増える。…0.1%に満たない数字で。この0.1パーセントに満たない数字、と言う数字をどう考えるか、が原子力エネルギー社会が考えなくてはならないところだと思う。たとえば100万都市では、原発があることによって1000人が死亡する計算になる。(このへんは「人は放射能になぜ弱いか」の受け売りだけれど)

数字のでどころとか

 確かに、僕の挙げた資料はgo.jpからのものだったり、原子力発電に賛成している人からの引用ではある。果たしてこれは偏りのあるデータなのだろうか。いずれも、客観的データに基づいているように見える。そして、客観的データは反対派よりもむしろ賛成派から出てきていることに、僕はますます原子力エネルギー社会というものに期待をしてしまうのである。

 しかし、原子力発電所に悲観的な論も多く、感情論になっていないデータに基づいた冷静な反論もある。というわけで、「原子力さえあればエネルギー問題は解決!」という僕の持論は崩されるかもしれない。


とにかく

 人類の不断の努力によってのみ、ぼくたちは繁栄することができる。その努力を怠ったときには、破滅なんだろうね。でも繰り返し強調するけれど、「世の中、よくなってきているのだ。」 普段は悲観的な僕だけれど、社会全体については楽観論者なんだ。