『光は鼓動する』後書き


『光は鼓動する』後書き

 『光は鼓動する』連載終了1週間後から拍手画面に掲載された後書きです。
 拍手に載せているものを、そのまま転載します。

1/10 はじめに


やっと後書きを書き終えました!!

なげえ! そして内容は薄いか厚いか分からん><
とりあえず、以降9つの拍手画面すべてが後書きに類するものです。

具体的には、次の画面2/10が公式的な作者による「あとがき」です。
小説の最後についているような、余韻とかテーマ重視のものです。
ものすごく真面目です。

それ以降の3/10〜はすべて執筆後記になります。
つまりは私がこの作品を書きながら感じたことの雑記です。
だらだらと読み流す類のものです。

興味が湧いた方は、読み流してくださると幸いです。
それでは次のボタンから、ずっと後書きのターンです!

2/10 「光は鼓動する」を作品として振り返って


 「光は鼓動する」をトータルとして振り返ると、この物語は「何かを信じようと挑戦し続ける物語」だったように思います。

 何が善で、何が悪かはさておいて。何を信じたいか、何なら信じきれるか、それを登場人物たちが、そのカードに賭けて、主張し続ける物語だったのかな、と思います。
 ヒカコは心がカードを、つまり未来を導く物語です。互いの信じた方向に物語は進んでいきますし、信念の揺らぎで勝負は左右されます。佐藤先生はどこか自棄を匂わせていたから、最後には藤原に負けてしまいます。エルは明菜の勝利を信じていたから、明菜が勝ちます。ウロボロスは自分を超えるものを見たかったから、翼がそれを超えました。

 自分にとって何が確かで、何を認めたくないか。ヒカコの決闘では、このテーマが毎回焦点になっています。特にルーツ・ルインド編以降はこの傾向が顕著です。デュエルは信念の強いほうが、強いのです。それは敵でも味方でも変わりません。そして、信じる心が強さを導き、願いをかなえる力を生み出す。それを何度も繰り返しながら、闘いが激しさを増していきました。

 最終戦はその総決算になります。ウロボロスは本当に強い。自分を強く信じているからです。翼だって本当に強い。みんなから信念を託され、それらを強く信じているからです。

 ウロボロスが信じる『無秩序』。言い換えれば、つまり世界がどうにもならないという残酷さです。これは誰もが感じることであり、ウロボロスを取り囲む環境では特にこれが酷かった。だから、『無秩序』をウロボロスは確信し、それと戦い抜いた自分の強さを自負として信じ、誰にも負けない力強さを身に着けました。ヒカコの敵役はこの側面を多かれ少なかれ内包していると思います(分かりやすい例では、翼vsウロボロスよりも先に、藤原vs佐藤でこれに類したものが描かれているはずです)。

 翼は一度全てを風の災厄で失ってから、新たな何かを見つけ出そうと必死でした。そして、前向きな何かを(まるですがるように)頼りにしてきました。絆、努力、尊敬、守る意志、救う意志……。翼一人では、それらを信じようとする力は発展途上なところもあるしょう。しかし、仲間から託されたカードが翼を後押しするならば、その力は確かなものになっていきます。託された熱い想いを、信じないわけにはいきませんから。星屑が集まり、闇夜を照らす銀河になるように。その希望の羽根を束ねた翼が、ウロボロスの信じざるを得なかった世界を飛び越える力を得たのです。

 主人公たちの何かを信じようとする挑戦は、皆さんの胸を熱くできたでしょうか。
 もし、できたのなら、感無量です。
 そして、彼らの物語は決して他人事ではないと思います。

「少しずつ何かを信じることから始めてみるんだ。〜  僕が大切にしたい確からしいものを見出していきたい。」 第22話 藤原 優介

 何かを信じて、日々を真摯で力強いものに、自分の力で変えていく。
 この物語を通じて、ほんの少しでもそんな前向きな気持ちになってくれたら。
 この作品にそんな力強さが宿っていることを祈って。
 この後書きを閉じたいと思います。

2010/09/15  村瀬薫


3/10 書く動機1


「光は鼓動する」を書き出した動機は、シンプルに言って、遊戯王という作品への感動、及びそのカードゲームへの愛着を実直に表現したかったからです。

 私にとって、遊戯王は連載当時から、真っ先にジャンプをめくって見る作品でした。カードをめくる度に、新しい展開が生まれ、キャラがカードで自己表現をする鮮烈な演出。その世界観や勝負、登場人物たちが試されているような感覚に、強い刺激を受けたのを今でも覚えています。
 カードゲームも純粋に好きでした。GB時代からゲームを追いかけて、どんどんその世界観が広がっていくのを楽しんでいました。強いカードを投入したり、プレイングのコツを覚えて実践してみたり、そんな少しずつデッキを積み上げることは、本当に楽しいと思います。
 その感動はアニメを見たときに、再燃しました。特にOCGにも強い愛着のあった私は、GXの1話完結の対戦たちを見ながら、もっとこういうのを見たいなーと漠然と思っていました。さらにまた、同時に遊戯王はドラマを盛り込めるものだというのも、原作とGXのユベル編を見て実感していました。

 その感動や愛着を、自分が表現できる一番の方法が小説でした。単純に私が遊戯王を好きだった証を、確かな形で表現して残したかったのが一番の動機です。強く心を揺さぶられた何かを、自分の言葉で記すこと。それが自分にとっての何かを書いていくことなのだと、いつも思っています。
 だから、私が書いたこの作品は、私がいいと思ったものを種々取り入れた上で、構成されているようなものです。漫画だとメリハリが少し焦れてしまうから、アニメの1話完結を基本として、オチや引きをしっかりつけたい。なおかつアニメのオリカで辻褄合わせ展開は少し寂しいから、工夫して後出しジャンケンを排除したい。原作・アニメでOCGカードとオリカが上手くかみ合ったときに、いつも感激していたから、それをいつも出せるようにしたい。なおかつ、カードゲームで自己表現・自己主張をして、その心を闘わせ合うドラマを演出したい。
 そんな自分が遊戯王から得た感動を全部押し込めたのが、この「光は鼓動する」になるかなーと思います。


4/10 書く動機2


 でも、そういった心を揺さぶる題材は、他にもそれなりにあるものです。その上でこの遊戯王に手をつけたのは、それは今を逃せばこの創作に没頭できなくなるかもしれない、という危惧があったからです。遊戯王の小説を書けるのは、今しかないと思ったんですね。

 こういった少年漫画的・アニメ的な題材は、あまり歳を食ってからだと、正直扱いづらいかなーと思ってしまったのです。ある意味、ファンタジーやらカードゲームで全てが決定するような世界観を本気で書き込めるのは、今を通り過ぎてしまうほど書きにくくなりかねません(俗に言う厨二病の終わり。まだ終わらなそうだけど!)。
 まして、二次創作という一種の閉鎖的な趣味は、歳を取るにつれて、ほぼ公言できなくなり、さらに没頭しにくくなります(つーか、現に一部にしかこんな趣味は理解されないから、滅多に話さない)。なので、今のうちに全力で書ききって、一つの形にしておきたいと思ったのです。後、この二次創作というジャンルに手を出すのは初めてだったので、どういったものかを体験しておきたかったこともありました。

 そして、カードゲームの興奮やアニメを見た感動が新鮮なうちに、書き上げてしまいたいというのが、強くありました。少年のカードゲームを楽しめる心が残っているうちに、徹底的に自分で表現しまくっておきたい。さらに言えば、自分が一番興奮できるデュエル・シチュエーションを追及しておきたかったのです。それは興奮と感動が胸に息づいていなければできません。

 そんなこんなで今しかない、と自分で自分を説得して、重い腰を上げたわけです。



5/10 「光は鼓動する」で目指したこと、目指したかったこと


 この作品の漠然としたやりたかったこと、当初のコンセプトはいくつかあります。

 ひとつは、明るい物語にすることです。私は基本的に後ろ暗い、根底が少しダークな作品が好きで、あまり前向きで明るい真正直な物語に取り組んだことがありませんでした。
 なので、「光」を題材にしたテーマで描くのだから、前向きなものを扱ってみよう、というのをテーマに構想をし始めました。

 さらに、「エンターテイメントが主眼になる」というテーマがありました。良くも悪くも今まで私の小説の書き方では、私小説的な綴り方をすることが多くて、その第一目的は自分の表現したい価値をいかに印象的にまたは鮮明に描けるかでした。面白さはある意味二の次なんですね(もちろん読者への作法としては、それなりに重視はします。しかし、これは読ませる手段・餌であって、目的ではないのです)。今作でも遊戯王を自分のできる最大限で盛り上げるという意味では、それ自身が価値となります。しかし、それ即ち読者を楽しませる・興奮させる、即ちエンターテイメントが第一目的となるのです。
 これまで意外と実はそんなに目指したことのないテーマでした。

 あとは、アニメの再現的に描いてみることですね。1回で起承転結をそれなりに盛り込む。引きもオチもない回は作らない。アニメのある1話を見終わった後の、「あーこのお話を見たなー」という感慨を与える。これらを統合して、ヒカコの1話はアニメ1回分に相当するように書くことが、一つの目的でした。これまでアニメの尺や作法を意識して書いたことがなかったので、それも挑戦の一つに掲げられました。



6/10 書いてみて感じたこと1〜自分への執着〜


 「明るいテーマを書くぞ〜」という当初の目的を見て、「え?」と思った方も多いはずです。実はこれはそこまで達成しきれてないと思います(いや、達成しなくても、作品の質には関係はないんですけどね)。ヒカコって全方面から見て、そんなに明るい話じゃなくなってます。

 これは割りと誤算でした。本当に最初は目標達成型、夢への邁進型で、階段のステージをスキップで上るような雰囲気の物語も考えてたんです。それが個人的にどうにも違和感が拭えなくって、どんどん方向転換させられていっています。

 それが象徴的な場面が、孤児院ルミナス編突入だと思います。ここから一気に話の雰囲気が変わったりします。これは私が、「理由や動機もなしに明るい奴」を書きたくないと思ってしまったからです。いや、それでも単純に憧れとか尊敬で、明るさを指向する主人公を目指してもいい気がします。でも、それじゃあ納得がいかなくて、こういった方向性で掘り下げることになりました。

 思った以上に、「私自身の中に漠然と渦巻くテーマ」への執着は強いものだというのが分かりました。そのテーマは恐らく敢えて端的に言えば、暗いものを背負った上で人が生きようとすることです。筆者って、誰でもある程度納得できなければ書き進められません。例えば、私は飢えや渇きもなしに明るい人間は嘘っぽいと納得できませんし、バックグラウンド・経歴・過去なしに登場人物を描いていくことを心細い・しっくりこないと納得できないのです。サブならまだ見過ごせても、メインとなると無理でした。そこで孤児院ルミナス編から、キャラの掘り下げが急加速することになります。

 思った以上の自分の頑固さや、妥協できないところを再発見できた執筆体験でした。私にとって書いているときは、やっぱり自分が一番自分でありたい時間なんですよね。そんな中で演技やパフォーマンスなんてしてられるか! そんな意地に突き当たったわけです。やっぱ自分の好きなテーマらしきものを書いていると、気分が高鳴り引き締められるあたり、どうしてもそのテーマから逃れられないのかな、と実感しました。


7/10 書いてみて感じたこと2〜エンターテイメントとは〜


 これは毎度、やはり難しいなーと思わされていました。
 面白い作品にするために必要なのは何かといえば、自分の心の中に無数の「面白さの批評家」を育てることです。つまり、自分の書いた作品について、面白くない要素を全て批判できて、面白く出来る可能性を全て気付き伸ばしきれる観察眼・審美眼を身につけることです。当然、そんなことを完全網羅するのはほぼ不可能で、できるだけそれに近づけるのが、エンターテイナーの目的になります。
 つまり、王道を行くならば、その王道を突き通した上で、読者の期待を裏切らず、さらにその期待以上の鮮烈な印象や突き抜けた展開を与えなければならないわけです。トリック・スター(常識を破壊する書き手)を狙うのであれば、ほとんどの読者の予測を裏切り、しかし納得できるような展開にしなければならないのです。字面でやることは分かっても、実際にやるのは常に難しいものです。

 つまり、こういうデュエルは面白い、面白くないを突き詰めて毎回考えることになりました(デュエルだけでなく、お話についても)。これで本当にいろんなことを考えさせられて、いろんな自分の中の批評家を育てさせられたなーと思います。これはどんな作品を書いていても、誰でも通っていく道じゃないかなーと思います。だって、面白い作品じゃないと、注目されませんし、寂しいことになりますから。さらには、この作品をつまらないと感じさせたなら、「お前の感動した遊戯王はこんなものか」という失望を与えることになります。自分の感じた価値を表現しきれないことになるのです。
 厳しい話ですが、誰かに見せることが前提となっている以上、その作品は自己満足だけでは済まされません。自己満足だけなら公開せずにタンスに大切にしまっておけばいいのです。それを公開したからには、自分の作品(あるいは自分自身)に何らかの価値を感じて欲しいことを、読み手に求めていることになります。そうするからには、こちらからもそのための対価を与えるべきであり、作法を学ぶべきであり、それがエンターテイメントとなるのです(もちろんこれを最優先すると強迫観念に苛まれ、筆が鉛のように重く感じられます。自分が苦しくなりすぎない、楽しいと思いながら書けるところでやるようなバランス感覚も大事になります)。

 そこで感じるのは、やはり自分の「力不足」ですね。自分の中の批評家が「次からはこれを直せよ!」と声高に叫んでいる部分が出てきます。敢えて深くは言及しませんが、以降のエンタメとしての課題は、以下のことを感じましたので、これからの目標として克服を考えていきたいと思います。

・表現の幅をもっと広げていきたい
(端的に表現の引き出しについて。特にファンタジー系は難しい)

・キャラクターの個性付けをより魅力的で分かりやすいものにしたい
(もっと一目で分かる表面的でキャッチーな個性をちゃんと書けるようになりたい)

・登場人物の配置・関連性をもっと綿密に考えること
(多くの登場人物が出てくる場合、その活用可能性や意味づけをより綿密に)

・ネット的文法、行間、表現、書き方についての探求
(どんな書き方が見やすいか、迫力が出るか、それを貪欲に用いる)

・自分のこだわりを廃して、よりエンタメ性を追求したらどうなるのかを考える
(「こうなったら面白い」を、一度他の執着を廃して考えてみる探究心)


8/10 書いてみて感じたこと3〜アニメという尺の壮大さ〜


 これは一番分かりやすく痛感させられたことです。
 アニメの尺で小説を書くと、ものすごく量が大きい、ということです。当初はこんなに長く書くつもりはなかったのですが、アニメ基準という前提で尺や掘り下げ方・見せ方を考えていくと、この通り長〜くなってしまうわけです。

 アニメの基本単位である1クールは、つまり13話程です(ちなみに時間換算すると、20分×13=260分=4時間20分)。アニメの起承転結を意識した場合、1話は1万〜1万5千字くらいになるでしょう(アニメの音声・映像を全部文字化すると考えてみてください)。つまり、単純計算で1クールは13万〜19.5万字。これは文庫本換算すれば(約361で割る)、360〜540ページになります。つまり、1クールを本に換算しただけでも、かなり長めの作品になってしまいます。これを2クールとか3クールで予定しちゃうと……、結果はご覧の通りの超長編の出来上がりです! 真っ白に燃え尽きた作者の出来上がりです!
 いやあ、小説一つ仕上げるときは、無理のない程度に仕上げるなら、映画一つ分が適切だと思います。映画1本が2時間だとすれば、120分=6話分。つまりは6万〜9万字くらいです。文庫本換算すれば、166〜249ページ。ほら、普通のサイズになった!

 ……そんなこんなで、アニメスケールの連載をしようと思いついた方は、自分の根性・執筆経験と照らし合わせてから、慎重にやらなければいけないかなーというのが結論です。私はこれまでアニメの尺を意識せずに書いた10万字+αの作品が最長だった程度なので、この規模の連載は、気力・体力ともに負担が大きかったです。連載は計画的にやるべきなのだなぁ、と痛感させられるばかりです。次からはもっと慎重に計画します。迂闊に手を出して、火傷どころか灰になりかけたよ!

 ちなみにアニメの尺の話をしたので、ついでにヒカコのプロット(大まかなグランドデザイン、構成)を話しておきます。簡単にヒカコのフローチャートを示すと、次の通りです。

序編≒1章
(メインキャラとサブキャラを一通り登場させ、舞台とキャラ情報を紹介)

破編≒2章
(敵の登場。サブキャラと四天王やら三神将やらとの闘い。さらに終章への準備)

急編≒3章
(準ラスボス及びラスボスとの闘い。クライマックス)


 ヒカコはよくRPGに見られるような、序破急的なプロットが中心です。序破急というのは物語の構成論でよく使われる言い方です。端的に言えば、序は舞台説明、破は舞台崩壊、急は崩壊収束です。噛み砕いて言えば、序は「主人公達の紹介とその日常」で、「破はその日常が揺らぎ闘いが始まること」で、急は「その闘争の解決が劇的に行われること」です。結構これに該当する作品はあるかと思います。これを割りと均等な割合で、ヒカコは描いています。それなりに汎用プロットなので、応用は利くかと思われます。全体的な流れを意識するときは、参考にしてみて下さい。他の原作HPの作品がどうなっているかを分類してみるのも、面白いかもしれません。
 あとついでに、個人的に愛読した構成論やらエンタメ論の本を紹介しておきます。新しい作品の書き方に迷ったら、とりあえず買って読んでみて参考にしてみてください。

ハリウッド脚本術―プロになるためのワークショップ101
ニール・D・ヒックス

ベストセラー小説の書き方
ディーン・R. クーンツ



9/10 ヒカコの連載生活


 趣味的にはかなり遊戯王以外の要素を廃しながら、生活していたようにも思います。特に読書のような労力を要する趣味に関しては、ほぼ廃されましたね(下手に他の作品の影響を受けないため、というのもあります)。あと小説執筆に入ると、ブログとか日記も書く気が失せます。

 1ヶ月サイクルのときには、掲載→1週間敢えて何も気にせず遊ぶ→1週間プロット作成(デュエルメモ完成)→1週間具体的に執筆→掲載 以下ループ という形で連載していました(大抵はどれかが伸びて、1ヶ月以上かかりがちですが)。
 ラストはかなりスパートをかけていましたが、基本的にこのサイクルを圧縮した感じです。当然「遊ぶ」を廃して、1日単位で今日はこれをやり切る!と細かに目標を決めながら、連載していました。当然ながら、過負荷です。でも、それでも作品は出来上がったんだなぁ……。

 連載は自己管理が最も大事です。「ある時間までにここまでやる」この繰り返しでした。そのモチベーションの維持、自分を机に向かわせること、それをいかに都合つけるかが大事になります。しっかし、短期間なら集中的にこれをやるだけなので、そこまで精神的にはつらくないです。ただ、この2年間の長期ともなると、道が果てしなくて、下手に全貌を見渡しちゃうと、途方に暮れそうになります。だから、小目標を細かく設定して、モチベーションや自分の位置を見失わないようにしないと耐えられません。

 私のモチベーションを維持するのは、主に達成感でした。「自分はそれでもやり遂げている。これまでもやり遂げてきた」、そんな感慨です(なんかウロボロスみたいなこと言ってる?!)。自分の出来上がった作品をHTML化して見返すとき。感想を見返すとき。次の展開を考えながら自作を読み返すとき。これらを繰り返して、自分はこの作品をしっかり完成させたいと思い返していました。
 こうして見ると、かなり強迫観念的なやり方ですが、私自身昔からずっとそうして動機付けしてきたタイプなので、あまり心配しなくていいです。これらは方法論と習慣づけであり、不快感や切迫感とは違ったものです。ただあんまりに長い期間こういうのを繰り返すと、本当につらくなります。そういう意味では、次やるとすれば、もっと計画的にやりたいなぁという思いです。短期集中で節目まで書くのが、丁度いいんでしょうね。締め切りはモチベーションと作業効率をあげるけど、ライフポイントを削るのですよ……。

 そんなこんなの生活もようやく終わりです。まだ終わったばかりで、あまり実感は湧かないのですが。多分、1ヶ月も過ぎれば、単身赴任して家族の賑やかさから離れた旦那みたいな、解放感と寂寥感をしみじみ感じることになると思います。ここまで長い期間付き合わされた作品は初めてだし、2年間も時間を費やせる作品ってこれからもそうそう出てこないと思います。そう言う意味では、いつの間にかこの連載は生活の中の、引いては私のこの2年間の中の多くを占めていたのかな、と思います。
 あと、正直、管理人のプロたんさんには、申し訳ないことをしたと思ってます。せっかく連載規定を設けて頂いたのに、連載開始時の文字数も結果的には大幅に長くなることになりましたし、模範的な連載作家とは言い難い連載の仕方をしていたかと思います。それに関しては、今後お世話になるときは、より計画的にできればなぁと反省するばかりです。少なくとも連載スケールの計り方・文字分量はかなり分かったので、次はもっとずっと先を見通しながら連載できるはずでございます。


 大体、執筆しながら、感じたところはこんな感じでした。
 こうして振り返ってみたことを胸に、これからの自分の執筆生活との向き合い方を考えてみたいと思っています。
 執筆体験記もここまでです。あとは拍手10番目の最後の画面のみとなります。適当にメッセージ残したい方はどうぞ。


10/10 あとがき最後の挨拶文

 そんなこんなで長い期間を経て、「光は鼓動する」は完結しました。
 今までご声援いただき、ありがとうございました。
 今後も見かけることになりましたら、またよろしくお願いします。
 遊戯王のさらなる発展と、原作HPのさらなる飛躍を祈って。
 長いあとがきと執筆後期を終わります。

2010.09.16  村瀬 薫

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