三方ヶ原 †
徳川家康が武田信玄と激闘した地。現在の静
岡県浜松市。1572年10月、武田信玄の
大軍が甲斐を出陣した。京に入り、天下に号
令するためである。武田襲来の報せを受けた
徳川家康は、織田信長に救援を求める。
信濃から遠江に南下した武田軍は、徳川方の
城を次々に攻め落とし、12月には家康居城・
浜松の北方20キロにある二俣城を落とす。
その後、武田軍は浜松城に迫るが、突如転進。
浜松城を無視するかのように西へと向かう。
浜松は救われた。だが家康は出撃を指示する。
「領内を蹂躙され見過ごしたとあっては武門
の恥」だからである。家康は織田の援軍と共
に武田軍を追撃。三方ヶ原に差しかかった時、
武田軍は突然、軍を展開させ攻勢態勢をとる。
こうして武田、徳川の両軍は激突。風林火山
の旗をかかげて猛攻する武田軍は強く、徳川
軍は総崩れとなる。これに対して信玄の本陣
は微動だにせず、格の違いをみせつけられた
家康は辛うじて浜松に逃げ戻った。
関連項目: 徳川家康 武田信玄 織田信長 風林火山
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三方ヶ原
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