長篠 †
織田・徳川連合軍と武田軍が激突した場所。
現在の愛知県南設楽に当たる。大野川と寒狭
川の合流地点にあった長篠城は、信玄没後、
徳川方についた。これに怒った武田家当主・
勝頼は1575年、大軍でこの城を囲んだ。
長篠危機の報せを受けた信長軍は、徳川軍と
合流。長篠正方4キロの設楽原に布陣する。
武田軍内部では、宿老らが激突をさけるべき
と主張するが勝頼はゆずらず、あえて織田・
徳川軍の正面に、挑発するように布陣する。
決戦は日の出ととも始まる。武田軍の猛将は
次々と織田・徳川陣へ突撃する。が、馬防柵
に阻まれ立ち往生し、そこへ激しい銃撃が浴
びせられた。火縄銃の銃撃には弾込めの間が
あったが織田鉄砲隊の銃撃に間はなかった。
信長は、三千丁の鉄砲隊を三列に配置、一列
ずつ銃撃させ、弾込めの間がない攻撃を実現
させたのである。この「鉄砲三段撃ち」で、
武田の猛将は次々と倒れていった。武田軍は
大敗を喫し、壊滅的な打撃を受けたのだった。
関連項目: 織田信長 徳川家康 武田勝頼 鉄砲
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長篠
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