羽柴秀吉と柴田勝家が決戦した地。琵琶湖と 余呉湖の中間にある。二人はともに織田家臣 であったが、筆頭家老の勝家は成り上がり者 の秀吉を軽んじていた。だが本能寺での信長 の死が、二人の立場を大きく変える。 秀吉は山崎の戦いで、仇・明智光秀を討ち、 織田後継の資格を得る。一方、越前を領す勝 家は、雪に閉ざされ思うに動けず、秀吉に一 歩も二歩も出遅れる。勝井は雪解けを待って 出陣。賤ヶ岳に進出する。その数、約3万。 一方、秀吉は約7万を集めたが、美濃の反乱 に対処すべく一時離脱。そのスキに勝家軍・ 佐久間盛政が秀吉軍・中川清秀隊を殲滅する。 報せを聞いた秀吉は、わずか5時間で美濃か ら舞い戻り、突出している佐久間隊を強襲。 佐久間隊は巧みに後退したが、味方の前田利 家、金森長近が勝手に戦場を離脱したことで 総崩れに。敗色濃厚になると、柴田軍から脱 走者が相次ぎ、勝家はわずか百人余りの兵に 守られ越前に帰国。3日後、居城で自刃する。
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