シナリオ | 無双演武 | 模擬演武 |
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姉川の戦い(浅井・朝倉軍) | お市(三) / 浅井長政(一) | ○ |
姉川の戦い(織田・徳川軍) | 雑賀孫市(一) / 服部半蔵(一) / 本多忠勝(一) / 徳川家康(一) | ○ |
光秀天下統一戦(明智軍) | 明智光秀(外) |
織田・徳川連合軍が浅井・朝倉連合軍を討ち 破った地。現在の滋賀県東浅井郡。琵琶湖の 北東部を流れる姉川は、当時100m程の川 幅があったという。1570年、信長は朝倉 討伐に向かうが、浅井の裏切りで失敗。 これを恨んだ信長は浅井討伐をはかる。まず 徳川の援軍を含む大軍を、浅井の本拠・小谷 城南方の虎御前山に布陣させる。つぎに野外 決戦で叩き潰すため、小谷の支城・横山城を 攻め、浅井軍を誘い出す。 救援にきた朝倉軍と浅井軍は、信長のねらい 通り、誘い出されて姉川北岸に布陣。織田・ 徳川軍と姉川を挟み対峙する。6月28日朝。 決戦の火蓋が切られる。はじめ浅井軍の猛攻 で織田軍は13段構えの11段まで破られる。 しかし、徳川軍の榊原康政隊が朝倉軍の側面 を、氏家卜全、安藤守就の織田別働隊が浅井 の側面をつくと、浅井・朝倉軍は、総崩れと なって敗走した。織田・徳川軍は辛くも勝利 し、敗れた浅井長政は小谷城に引き下がった。
関連項目: 織田信長 徳川家康 浅井長政 朝倉義景 榊原康政 安藤守就 小谷城