夏2期


summer面の歴史

夏2期

残暑の続く中、北の最果てフィンランドに建国されたMR_ラウンジ。
どこかで見たことのあるエンブレムに一抹の不安を抱えつつも続々と佐野研二郎に導かれし勇者達が集う。
私は文官スタッフとして彼らの中に紛れ込み、地蔵の如き生き様を刻み込む。

建国から僅か8時間にしてイギリス・総北高校自転車競技部から布告された。
遅れてオランダに窮極の門が名乗りを上げたのを受け、君主佐野研二郎は両国に対し堂々の布告を行う。

1552年5月。戦が近付いているとは思えぬほど国内は平穏であった。
一斉指令など王者ラウンジには不要。個人が100の力を発揮する国、それがラウンジなのであろう。

大陸の方ではチン○スだのマ○コスだのが暴れまわっていると聞く。
過ぎ去ったはずの一抹の不安が蘇りつつも、それでも国内は平穏であった。

1553年1月にはついに戦闘解除され、勇者たちは対自転車競技部への足がかりにするため不毛の地スウェーデンの開拓を始める。
佐野研二郎のデザインが取り下げられるなどのニュースが世間を騒がしていたようだが、それでも国内は悠久の時を歩んでいた。

まるで変わらないように思えた国内であろうとも、確かに産業革命の音は近付いている。
この年、フィンランドにこれから長きに渡り我々を支え続けることとなる鉱山が整備された。

面白い恋人@フィンランド > 「フィンランドは鉱山でいいのかな?」 (09/02/(Wed) 17:06)
佐野研二郎@スウェーデン > 「鉱山建てよう」 (09/02/(Wed) 19:13)

1558年10月。
順調に育っていたスウェーデンに一斉攻撃を受けたとの凶報がラウンジ国内を揺るがす。
残り守備1まで落ち込み、あわや大惨事かと思われたがやはり王者ラウンジ。
相手の出兵が少なかったこともあり、地蔵の如き堅牢な守備を見せしっかりと守り切る。

世の中は得てして凶報の次に吉報が届くものである。そう、スウェーデンに待望の兵舎が建造されたのだ。
また、ゴールドラッシュで賑わうフィンランドには職人町が建つ。
これを受け佐野は一斉攻撃を決定。100の力を持つ超人達が力を合わせる奇跡の瞬間である。

1572年3月、私を待っていたのは残念ながら我々の攻撃は失敗に終わった、との連絡であった。
話を聞くに、要塞都市オランダの城壁を露出させるところまでは早かったがそこからの攻略に手間取ったということらしい。
早い話が攻城兵器の不足であり、それはつまり文官の出兵不足に直結する。

私は帰宅後、以前より密かに購入していた臼砲を眺め眠りについた。

静かに眠るスウェーデンの街並みが突如燃え上がる。自転車競技部の夜襲であった。
寝ずの番に当っていた総大将・面白い恋人が火急の知らせを告げるも、地蔵軍が光る守備を見せまた静かな夜が帰ってきた。

1577年1月より、前回の失敗を胸に勇者たちは再びオランダの攻略を開始した。
攻撃の手を休めること無く攻めたものの、やはり攻城兵器不足が響き要塞都市を崩すことが出来なかった。

夜、会議場を訪ねてみたところ反省会の記録が残されていた。そこから読み取くに武官達には一切の不備がないのである。
私達文官にも攻撃の手を期待されているのだろう、そして私達の手には臼砲が握られているのだ。

しかし、悲しいかな私達は動かざること山の如しの地蔵である。
私達の臼砲は機会を与えられること無く、今宵も静かに更けていった。

この頃大陸側より推参してくる人が増えた。なんでも大陸側では動乱があったらしい。
途切れ途切れに聞こえてくる話によると、なんでも力を集結させすぎたことにより不興を買ったというもの、いやいやこれは大陸の英雄がもたらした破壊の風だというもの、はたまた全ては秘密結社猫肉部の思うがままであるとのもの――
仔細は全くもって不明だったが、禿山もなんとか、人が増えるには喜ばしいことだろう。
また、後にラウンジ参謀となるマスカットがラウンジの門戸を叩いたのもこの頃である。

1589年1月。
新たに加わった客将らも率い、三度となるオランダ攻略にとりかかる。
ここで先述のマスカットがダークマターを発動させ、ラウンジを長く苦しめてきたオランダの城壁は無へと帰した。
http://sengokugame.net/cgi-bin/summer/log_file/battle_log/battle_1215.html
一度はカウンターこそ受けたものの一連目で落とせたということは大きく、そこから徐々に守備を積み上げていく。
何ら問題なく確保に成功し荒れ地や施設の整備へと励むこととなった。

我々を長く支え続けたフィンランドから鉱山を解体し、余った土地に寺町と南蛮街を建てる。
坊主の隣に伴天連がいるという状況はどうなのかと思わなくもなかったが、特に問題はなかったようだ。
そもそもよく考えて見ればここは北欧の地である。坊主の側がマイノリティなのだ。

1595年、拠点化に成功したオランダからイギリスへと最後の詰めを仕掛ける。
勢いに乗ったラウンジ軍を止めることは出来ず、ここに長き戦いが終わった。

戦勝を祝う会が行われたが、私は簡単な挨拶を終え早々に帰宅し、ついぞ使われることのなかった臼砲を眺め眠りについた。

この頃になると人も増えてくる。
私は文官仲間であるてんすいとのコミュニケーションをどう取ったものか悩んでいたが、新参者達はどうなのであろうか。
こっそりと見ていた所、てんすいにお礼を言う武将が多いことに気付いた。
帳簿が無いため全く気付かなかったが、彼はしっかりと配布を行っていたのである。
驚愕の事実に打ちのめされる中、ひょっとして仕事をしていないのは私だけではないのだろうか、解雇されないだろうかとの恐怖を胸に活気あふれるラウンジの夜は更けていった。

長き戦争を終えしばらくは暇になると緩々と茶でも飲んでいたが世間の情勢は思わしくないようである。
1613年4月よりゾンビ&のんびり国との世界大戦が決定した、との通達が届く。
残る国はラウンジを含め3国。バトルロワイヤルになるのだろうか、と思ったもののラウンジの地形は奥に厚く容易には滅ぼされない。
偵察によると我々ラウンジ、のんびり国に挟まれることとなったゾンビ国は、まず人数が少なく攻撃の行いやすいのんびり側へと注力するようである。

今回ラウンジ上層陣が採択した作戦はドイツ、スイスに潜伏部隊を置きモンゴルまでの高速打通を狙うことである。
再びのダークマターに期待が高まる中、いよいよ開戦の時を迎えた。

皆が見守る中、しかしダークマターは不発であった。
どうなることかと思ったもののなんとかリカバリーし、トルコの城壁を殴るところまでは行く。

1613年8月、のんびり国が一斉に耐え切れず滅亡。
ここが分水嶺である、との叫びを背に私も数通、いや数十通の登用文を認めておく。

「MR_ラウンジ国の使者:正義はラウンジにあり」
ラウンジは王者にして正義なのだ。遅まきながら私にもようやくラウンジの精神が芽吹いてきたのだろう。

やはり無理があったか、スイスが奪い返され我々の決着はドイツ・スイス間で睨み合いにて本始動した。
フランスからイタリアを攻撃するなど躍動していたようだが、私はやはり臼砲を横目に、訓練200となった大筒部隊を率いて眠りについた。

厳しい冬の訪れである。
1620年9月、深夜密かにフランスに降り立ったゾンビの軍団がオランダを攻撃、更にはスウェーデンやフィンランドまでもを破壊し尽くした。
ゾンビに侵された市街にかつての美しさはどこにもなく、ただただ焼きつくされた土地と大量の兵糧が残るのみであった。

ゾンビ故に米は不要なのであろうか。ゾンビなのに金は必要なのか。
そんなくだらないことを考え茫然自失と立ち尽くす私達であったが、上層達の諦めず復興していこうとの奮起の声が響き渡る。
私自身もスウェーデンの巡察を予定に入れ、臼砲と共に荒れ果てた大地で年明けを迎えることとなった。

更に前後してドイツは攻撃を受けていた。
城壁が露呈するも、我々を何度も苦しめた要塞都市は味方になれば頼もしい物、首の皮一枚残してつなげていく。

諦めずに奮起する中、時を越えフィンランドに鉱山が再建される。
我々を支え続けてきたフィンランドの鉱山は、今この時に置いてもその役割を見事に果たした。

1631年4月、雪崩れ込んでくるゾンビの大群を前に一斉の打ち合いが始まる。
小林ゆうが先陣を切り、イゼルローン要塞が怒涛の守備を見せるなどラウンジ生え抜きがここに来て覚醒する。
更に光華姫らのアジア組が奮戦するも、一度はドイツの城壁が崩落する……
が、アイテム地獄および総大将面白い恋人が神がかったドイツカウンターに成功。直後にドイツよりゴッドライジングがスイスへと侵攻し見事に打ち取る。
まさしく神越えた逆転劇の瞬間であった。

この頃市井では不審者を目撃したとの声を聞くようになる。
流言工作かと思い警備を強化してみたものの、勝ち馬ジョージが勝ち馬に乗ろうと腐心している姿を見ることができた程度であった。
彼の目標に真っ直ぐな姿勢は私も見習うべきだと思い、その日は臼砲の手入れをしてから眠りについた。

勢いを失うこと無く1637年5月にはトルコを攻め落とす。
撤退先が3択となったが、俄然動きの良くなったネオ地蔵により即座にイランであると判明、なんとイランの打通にまで成功する。
もはやラウンジボルテージはとどまることを知らず、第二の撤退先モンゴルをも陥落。
しっかり沿岸をケアするなど一切の憂いを断ちモンゴルへの移住を進める。

これより1ヶ月前である1637年4月。ひっそりと一つの歴史が幕を下ろしていた。
60年程の時を歩んできた臼砲がついに火を噴く時を迎え、大役を果たし跡形もなく粉砕した。
思えば私の人生はこの臼砲と共にあった。私が愛した臼砲は今ここに大輪の花を咲かせたのである。
3000弱と随分湿気ていたような気がするが、年代物故致し方ないところであろう。

さて、モンゴルへの移住は問題なく成功する。
もはやゾンビの群れにラウンジ軍を抑えることは出来ず、当然のように朝鮮陥落に成功。
更に日本、ロシアを討ち果たしついに強かった王者ラウンジの復活である。

世界に羽ばたく佐野デザインを成し遂げた佐野研二郎は何とうま太郎。
本人であれば以前からの悲願叶っての統一である。