1998 / 11 / 24 辻出紀子(当時24歳、女)三重・伊勢市


辻出紀子

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当時勤めていた三重県伊勢市の伊勢文化舎で11時頃過ぎまで残業し、その後会社を出てから行方不明になる。
退社後、辻出さんと唯一接触のあったとされる男性を重要参考人として事情聴取するも、手がかりは掴めなかった。
また、テレビ番組で霊視の結果「池に死体がある」と宣言されたため、家族のもとにはいたずら電話が相次いだ。

行方不明から7年5カ月

長い間の苦悩―両親にその心境を聞くため、父・泰晴さんが経営する市内の会社事務所を訪れた。
「(娘を巻き込んだ)犯人が今も普通に生活していることがやりきれない」と母・美千代さんは話す。

行方不明当時は頭が真っ白になった。涙の出ない日はない。
「少しずつ元気にさせてもらっている」が、紀子さんのことを考える時は、あの頃と一緒だという。
娘が忽然と姿を消したことに加え、さらに家族を苦しめたものもあった。
外出先では顔を見て指をさされた。知り合いと顔を合わせたくなくて、買い物は遠方のスーパー。
このまま立ち直れなくなってはいけないと、「みんな仕事だけは続けよう」と決めた泰晴さん。
しかし、心無いうわさが耳に入ってくる。
「娘が行方不明なのに、仕事ばっかりして…」。
なぜこんな事件が起こるのか?

その立場になった者しかわからない気持ちがある。今でも寝付けない夜があるという。寝ることを考えると怖い。
考え過ぎると首を絞められているような感覚に襲われて苦しい。美千代さんは取材中、何度も首に両手を当てた。
百五銀行では、幅広く地域に呼びかける協力を。昨年八月から十四支店を巡回する“長期ロビー展”は同行でも珍しい。
紀子さんが撮影した写真数点と取材を手がけた冊子、捜索チラシなどが並び、来店客からは「早く見つかるといいね」との声。
現地の状況を日本で伝え、難民が平和に暮らせる日が来るまで彼らとかかわっていきたいーと願った紀子さん。
美千代さんは最後にこう締めくくった。
「難民にならざるを得なかった子の姿に、平和のありがたさを感じてほしい。それが私たち家族のせめてもの慰めです」と。
同委員会事務局・中村元美さんは「焦りを感じる。これからも“探している”という声を発し続けていきます」と話す。
2006/5/1 東海経済新聞

三重の女性不明から6年 「娘どこに」執念の捜索いまも

辻出紀子さんが行方不明になって24日で丸6年。両親は今も、あちこちを捜し続ける。
不確かな情報に翻弄されながらも、「今度こそ」と期待しては落胆を繰り返す日々だった。
紀子さんが行方不明になって、ちょうど6年の11月24日。
両親や職場の仲間が同県伊勢市内のショッピングセンター2カ所で情報提供を呼びかけるチラシを配った。
伊勢署員らも加わって配った計8000枚のチラシには、辻出さんの写真や不明当時の様子などが載っていた。

ある夏、両親は同県伊勢市内の神社裏の沼一帯を捜した。
父泰晴さんが胸まであるゴム長をはいて沼に入った。母美千代さんも舟に乗り、藻と泥だらけの沼底を網でさらった。
占い棒で温泉鉱脈の発見などをする、ダウジングのやり手を紹介され、伊勢−尾鷲方面を数カ月かけ回ったことも。
反応があると、スコップで掘り返した。重機を借りてでも可能性があるなら」とどんな情報にもすがるようになった。
「何カ所掘ったかわからない。雲をつかむようだった。よくあんなことをやってきたと思う」と泰晴さん。
それでも続けるつもりだ。「とにかく紀子を見つけてやりたい」捜索を支援する人の輪は広がった。
紀子さんが東南アジアの難民キャンプで撮った写真展が各地を巡回し、無事を願うCDもできた。
美千代さんは10月、名古屋市であった犯罪被害者自助グループの追悼集会に参加し、紀子さんの写真に語りかけた。
「どういう形でもあなたを家に連れて帰りたい。元気な限り、捜し続けるつもりです」。
2004/12/1 朝日新聞
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