1971年12月18日、警視庁警務部長の土田国保宅に、小包みが届く。
小包みを開いた妻の民子さん(46)が爆死、近くに居た四男(14)が重症を負った事件。
爆弾小包みを開いた土田夫人は、手足がバラバラに飛び散って即死。
傍らにいた、四男の恭四郎くんも、大火傷の重症を負った。
現場は窓枠がすっ飛び、天井と床が抜け落ちるという惨状だった。
1年前の上赤交番襲撃事件で、死傷者を出した、京浜安保共闘による報復行動と
見られ、許しがたい無差別テロと社会から非難を受けた。
その後元法大学生ら18人が起訴を受けたが、証拠不十分で釈放されている。
1971〜1980