「ね…………でな………」
いつものように、夕飯を渡しに姉さんの部屋に入ろうとした時、中で話し声が聞こえた。聞き耳を立てるわけではないが、声からすると、妹みたいだ。妹が姉さんの部屋に入ること、いや、姉さんとはなすこと自体が珍しいので、入るに入れない気がして、俺はドアの前で固まってしまった。
俺は、音を立てないようにトレイを床において、無意識に耳をドアに近づけていた。
姉さんと妹が話す声が、ぼんやりと、でもはっきりと伝わってくる。
「やっぱりさ、姉さんは外に出た方が良い、と私は思うわけ」
「私の……勝手でしょ」
どうやら、妹が姉さんに、外に出ることを勧めているようだ。
「出たくない……の」
「姉さん!」
家からでるのを拒否する姉さんに、妹が声を荒げた。
「………ごめん」
姉さんの謝る声。続いて、妹の説くような声が続く。
「………あのね、姉さん。私、姉さんに無理言ってるわけじゃないでしょ? すぐに外へ出て働けとかさ、そういうことじゃなくて、ちょっとでも外に、さ?」
「無理なの、無理、だから」
「何で? 何で無理なの?」
「………ごめん」
「ねぇ、何で?」
「ごめん………ごめん」
「姉さん………」
それからは、二人とも無言だった。嫌な沈黙が続く。
沈黙を破ったのは、妹だった。
「姉さん、あのね? 姉さんが家にいるのが迷惑って言ってるわけじゃないの。でもさ、やっぱ、友達とか呼べないし………えっと、その」
妹は妹なりに、言葉を選んで言っているみたいだ。
「ごめん、ね……姉さんがこんなんだから」
「あーもう。だから、そういうことじゃなくって」
妹のへの字口が目に浮かぶ。
「………ごめん」
「………」
また、嫌な沈黙。部屋の中には、さぞ重い空気が流れているのだろう。
今度は、沈黙を破ったのは姉さんだった。
「ね………話は、それだけ?」
「それだけ? って」
また声を荒げる妹。
「それだけ? ってなによ! 姉さんのためを思っていってるんじゃない!」
「あ………ごめん」
「もういい!」
立ち上がる音。まずい、ドアから離れないと。
バタン!
間一髪、トレイをもってよけたところを、ドアが通過していった。そして、続いて妹が出てくる。
「お兄ちゃん! あのわからずやに何言っても無駄だから!」
声をかける間もなく、それだけを言ってから、妹はどたどたと階段を下りていってしまった。
ばれてたのかな、ドアの外で聞いてたこと。
そう思いながらも、トレイをもって部屋にはいる。
「姉さん?」
部屋では、姉さんが呆然とドアの方を見て、座っていた。長い黒髪が悲しげに揺れる。
「嫌われ……ちゃった?」
「え?」
「嫌われちゃった………よぅ……」
声をあげるでもなく、肩を震わすでもなく、ただ、姉さんは泣いていた。あまりにも下手な泣き方だった。泣くことを知らないような。
俺は、トレイをとりあえず机の上において、姉さんの隣に座る。
「ねぇ、私……私………」
震える声。俺は何も言えずに、ただ、促すように、隣で、姉さんの体温を感じている。
「私……どうすれば、いいのかなぁ?」
どうすれば、と、そればかりを、壊れたおもちゃのように姉さんは繰り返す。
「どうすればいいのかな………? 私、迷惑だよね、やっぱり」
「姉さんは」
突然話し始めた俺に、姉さんの方がびくりと反応する。姉さんが落ち着いてから、俺は話し始める。
「姉さんは、とりあえずは、今はこのままでいいと思う」
「でも……」
「聞いて。でも、やっぱりね、いつかは、変わらないといけないと思う」
「うん……」
「だから、今は、俺らが迷惑をかぶります、全部」
姉さんがきょとんとしているのが俺にもわかる。
「あいつもさ、さっきは怒鳴ったりしたけど、姉さんのこと大事に思ってる。もちろん俺もね?」
「………ごめん」
「謝ることはないよ。姉さんは安心して俺らに迷惑をかけてくれていい」
「でもそれじゃ………!」
「でも、姉さん自身が、それじゃいけないと思ったら、少しずつでも、変わっていって欲しい」
「私……自身?」
「うん、姉さん自身」
俺は、照れ隠しのように立ち上がる。
「変なこと言っちゃったね」
「ううん……楽になった」
姉さんは、俺を見上げて、笑った。
「夕飯、ここ置いとくから」
部屋を出て行こうとする俺を、姉さんは呼び止めた。
「ねぇ」
「ん?」
「…………なんでもない」
俺は首をかしげて、笑った。姉さんも、少し笑った。
ありがとう、と呟くのが聞こえた。
朝。
俺が珍しく、目覚し時計の騒音を聞くことなく起きると、何か、違和感を感じた。
まず、目覚し時計が鳴ってしまう前に止めておく。
動かない頭で原因を考える。
寝ぼけ眼で首をかしげる。
目の前には、姉さんの顔がある。
あぁ、姉さんが俺のベッドに、寝て、る?
何で?
まるで意味がわからなかった。
意味がわからなすぎたので、姉さんの寝顔を見ながら、意味がわからないです、と呟いてみた。
………やはり意味がわからないままだった。
頭を振って、眠気を追い出す。
姉さんがあまりにも幸せそうに寝ているから、起こすわけにもいかないような気がして、
俺はどうにも困ってしまった。
「ねえさーん」
ぴくん、と眉が動く。乱れた黒髪が、顔を横断していた。
何気なく、姉さんの髪を直す。その結果、姉さんの顔を指先が這う結果となる。
「………ん……」
姉さんのまぶたがぴくぴくと動く。
おもしろかったので、もう一度。落ちてくる髪を、あるべき位置へと戻す。
「んぅ………」
「姉さん?」
「……ぅ……んー………ぁは」
ゆっくりと、姉さんの目が開く。姉さんは、寝たまま無理やりに首をかしげる。
「あれれ?」
状況が把握できてないらしい。
姉さんが目をあけたので、急に気恥ずかしくなって、俺は上半身を起こした。
肩越しに見ると、姉さんが俺のほうを見上げていた。
「おはよう」
とりあえず挨拶してみた。
「おは……よー」
一応、返事は返ってきた。
「よー」
「よー?」
「よー」
………どこからどうみても馬鹿姉弟だった。
姉さんが、突然、体を起こして俺の横に並ぶ。顔がむすっとしている。
この人が寝起きが悪かったのを思い出した。
姉さんが頭をくしくしと掻く。そして、また首をかしげる。
「姉さん、おきてる?」
「おきてまっす」
あぁ、完全に寝てる(特に頭が)。
「………姉さんはまだ眠いから寝ます」
「………ちょ」
何かうぐむぐと呟いたあとに、姉さんはまた目を閉じてしまった。
俺の分の布団を奪うのも忘れなかった。
「……どうなってんだ?」
やっぱり、意味がわからなかった。
どたどた、という音。
階段を上ってきているのは、妹だろうか。
「おにーちゃん、起きてるー?」
「んー、あ、あぁ。起きてる」
これ、今ドア開けられると困るよなー。
「早く用意しないと遅れるよー」
「わぁってるって。すぐ行くから先食ってろ」
うちでは、一応朝食は皆で食べる。といっても、姉さん以外、なのだけれど。
いつかは姉さんも一緒に食べられるといいなぁ、でもそれ以前にこの人は生活習慣がなぁ、 と考えていると、やはり気になったのは、何故姉さんが俺のベッドで俺と一緒に寝ていたか、 ということだった。
「今日帰ったら聞いてみよう……」
俺は、とりあえず疑問を保留することにして、ベッドから起き上がった。
姉さんは、幸せそうに、スースーと寝息を立てている。
着替えるか……。
寝巻きを脱いで、その辺に適当に投げてから、ワイシャツに袖を通す。
ズボンを制服に履き替えた。制服の上着を持って居間に行くことにした。
部屋から出るときに、振り向いてみたが、やはり姉さんはすやすやと眠っていた。
居間にはいると、俺の分の朝食も既に用意されていた。
テレビのニュースを見ながらトーストにかじりつく妹を見ながら、俺はテーブルにつく。
「なぁ」
「ふぁひ?」
妹は、もぐもぐと口を動かしている。
食べているときに話し掛けたのが間違いだった。
問い掛ける言葉を頭の中で選びながら、妹の口が開くのを待つ。
「何、おにーちゃん?」
「姉さんの話なんだけどさ」
姉さん、という言葉に、妹の頬がぴくりと動く。
「……それが何?」
声が少し不機嫌なのは、気のせいではないだろう。
「姉さんさ、お前のベッドに入ってきたりする?」
「え?」
「いや、そういうことがあるかどうか聞きたいんだ」
こういう聞き方なら、問題ないだろう。
姉さんが俺のベッドに入ってた、なんて言ったら、こいつがなんて言うかわからない。
「………結構ある、けど」
「結構あることなのか?」
俺は少し驚く。
「何で?」
「何で、って言われても………怖いものでも見たときじゃないの? 姉さん、怖がりなのに怖い物好きでしょ」
そういえば、と思い浮かぶ。リングを見せたときは一日中、俺か妹のそばを離れなかった。
「で、それが何?」
「いや………別に」
「変なおにーちゃん」
それ以上問うこともなしに、妹はトーストに視線を戻した。
あぐあぐと、トーストに噛み付いている。
ほほえましい光景では会ったが、ずっと見ているわけにも行かずに、俺も自分のトーストにかじりついた。
コーヒーを飲みながらスクランブルエッグも一気に掻き込んで、朝ごはん終了。
「おにーちゃんもう食べたの?」
「ん?」
「先に行かないでね」
「はぁ?」
「今日ぐらいは一緒に行ってあげてもいいかな、って思って」
どうやら、一緒に登校したいから待っていてくれ、ということらしい。
「あぁ? ………まぁいいけど、どうしたんだよ、急に」
「ちょっと話があるんだ」
「その話、今じゃ駄目なのか?」
「時間もないし………それに、さ」
妹は、姉さんの部屋の方に視線を動かす。
「あぁ、わかった」
姉さんに関係があることなんだったら、確かに家の中じゃ話しにくいだろう。
「じゃぁ待っててやるから早く食えよ」
ふぁい、と返事をする妹を尻目に、俺は自分の部屋に鞄を取りに行った。
部屋にはいる。姉さんはまだぐっすりだった。
「………昨日あんなことがあったからなぁ」
怖いものを見てしまったが、昨日あんなことが会った手前、姉さんは、妹の部屋に行くのがためらわれたのだろう。けれど、どうしても一人では怖いから、結局俺のところに来てしまった……というのが大方の流れだろうか。
「………ま、悪い気はしないからいいけどさ」
鞄を取って、居間に戻る。戻ると、妹が食べ終わっていた。
皿を流し場に持っていくのを手伝ってやる。
「あ、急いで鞄取ってくるから先に出ててもいいよ」
「いや、別にそんなに急ぎでもないし、待つよ」
「ありがと、じゃ、急いでとってくるね」
急がなくてもいいのに、と思う間もなく、妹は本当に急いで鞄を取ってきた。
「おまたせ、っと」
「早かったな」
「急いだから」
「……それもそうか」
「じゃ、いこーよ」
妹が先に立って玄関へ向かう。俺も、その背中に追いかけていった。
靴をはいて、いざ出発。
「れっつごー」
「……ごー」
あわせてやると、妹は、なかなかの笑顔をこっちに向けてきた。
俺と一緒に家を出るときの妹は、なぜかやたらと嬉しそうだった。
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