ヘルマン・ヘッセ


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 ヘルマン・ヘッセ(1877.7.2.−1962.8.9.)はアウトサイダーに対する解決策を真摯に追求し続けたことから、ウィルソンが高く評価する小説家である。ヘッセは生涯に千四百以上の詩を書き、『車輪の下』や『デミアン』といった学校生活を主題とした少年期の繊細な内面や友情の問題を描いた小説や、(後述の)実験的な五大小説を執筆したことで知られている。ウィルソンは『アウトサイダー』の第三章「ロマン主義的アウトサイダー」の代表としてヘルマン・ヘッセに注目して、後期の観念的な五大小説を論評している。このヘッセ論はかなりの影響力を持っており、ヘッセ再評価の機運を生み出すことになった。ウィルソンの作家評論としてもこの箇所はまとまっており、ヘッセの五大小説の紹介としても優れている。

 ウィルソンのヘッセ評価には揺れがある。一方で、ウィルソンがヘッセを取り上げた理由は英語圏でヘッセの翻訳がほとんど入手困難な状況にあったことにあり(p.81)、この理由がなければ、他にもロマン主義者にはシラー、ノーヴァリス、フィヒテ、レッシング、ヘルダーリン、トーマス・マン、R・M・リルケ、マルセル・プルースト?、ランボー、マラルメなど次々と枚挙でき、ヘッセと同様の論評を行えたと主張している。他方では、「全体と見れば、ヘッセの業績に比肩しうるものは近代文学にはほとんど見あたらない。ヘッセの全作品は、一つの観念、いかにして『より充実した人生をおくるか』という基本的、宗教的観念がたえず上昇しつつ描く曲線にほかならない」と惜しみない賞賛を与えている。彼のヘッセ論の全体を見たとき、前者の翻訳が入手困難なためにヘッセを論じたというウィルソンの理由は割り引いてみる必要があるだろう。ヘッセの小説が描き出すアウトサイダー問題の図式は、他のロマン主義者よりも見通しの聞くものとなっている。

 ヘッセの小説作品群を、ウィルソンは二つの時期に区別している。第一に、1902年から1916年までの自伝小説(教養小説)の時期があり、第二に、1919年から1945年までの五編の主要小説の時期(『デミアン』(1919)、『シッダールダ』(1922)、『荒野のおおかみ』(1927)、『ナルシスとゴルトムント』(1930)、『ガラス玉遊戯』(1943))がある。この区分は一般的にもヘッセ作品を読み解く重要な手掛かりとなる。

 1916年から1919年の間のヘッセの空白期間について、『アウトサイダー』執筆時のウィルソンはヘッセがどのような生活を送っていたのか、十分な情報を持っていなかった。それでも、彼は初期の作品と五大小説との比較からヘッセの内面における成長を推定している。「この時期の詳細な事情はわからぬが、ヘッセが『デミアン』を書いて文壇に再登場した際に、そこに明らかに認められたのは、動乱のもたらした結果であり、再建への不たしかな試みであった。心理的な洞察は以前より鋭さを増し、価値の検討もかつてなかったほど深く衝いている」(p. 82f.)。(私がここで指摘しておきたいのは、現在では、ウィルソンの読み取ったヘッセの知的変化が彼の生活上の危機とカール・G・ユング?との出会いによる克服によって説明されていることである。ヘッセについては、ジークムント・フロイト?とユングの双方からの影響関係があり単純にユングとの関係だけを強調することには問題がある。とはいえ、彼の精神的危機においてユングの果たした役割を否定することはできない。ユングの思想に対して、ウィルソンは『ユング――地下の大王?』の中でかなり否定的な立場を表明していることを書き留めておくことにしよう。)

 ウィルソンがヘッセの五大小説を取り上げたのは、五大小説の主要テーマは自己実現の問題にあり、アウトサイダーが追い込まれた状況を克服するための具体的な方法が模索されているためである。自分自身の精神的危機を克服するために、ヘッセは秩序と混沌、精神と自然、学識と世俗性といった対立軸を設定して、一連の小説を書き続けていった。