東平市


沿線地域

昭和の合併で「市」に。市域は広い。

  • 233による。
  • 工業団地、住宅開発などで8万人の人口がある。

戦争で焼けた後の区画整理

初代984

そういえば東平も戦争で焼けてひきなおしたときに、中心地区は北海道風の南(北)○条西(東)○丁目、だね。

職人の街

  • 戦時中に沼を埋め立てて(参照:あやめ野)、飛行場と飛行機工場が建設された。
  • 大戦末期に空襲をうけ焼失。
  • 戦後も自動車工場、武電工場、槻ヶ輪工業団地など工業の街として発展中。

以上335から。

377曰く、工場ばかりの土地で「そうした人を相手にする商売はしてたかもしれないけど、よその人が行くようなところじゃ無かったと思うんだよね。」

落語研究会出身の市長

  • 市制50周年記念ライブと称してやったのが落語。桂南光と兄弟弟子らしい(265,270,272)

街が賑わっている、という様子はない

  • 空襲で焼けたなどの影響のようだ。340
  • 駅周辺はベッドタウンとして発展。地元商店会の結束の固さが再開発や大型店出店を阻んだのが一因(343)
  • 競輪場があったのも、自治体が衰退に対し取り組みが遅れた原因(334)
  • 地元で用が足りなければ嬬久保、それでもだめなら十字橋、という買い物パターン(377)