春田と嬬久保の確執


沿線地域

猿渡川が境界

春田嬬久保には確執があった。
207ででていたダイヤ改正について、

春田と嬬久保がどうなるかだよな。春田と嬬久保の間に猿渡川があって
そこが文化の境目になってるじゃない。(中略)
今は急行が嬬久保に止まって春田通過
準急が春田に止まって嬬久保通過なんて妙なことになってるのはその妥協の産物。

と、ある(211)。

間にあった猿渡川は、両者を隔てる境界の役目を果たしていた。春田を中心とする絹打の人びとは、猿渡川の向こうを「猿」すなわち「ハナモゲラムササビ」しか渡らない、と言っていたという(215

商人魂のぶつかり合い

  • 戦国以前から嬬久保は商業の中心地だった
  • 対して、中川盆地は僻地だった
  • 戦国の混乱期、「敗者」となった人々が各地から入墾
  • 江戸期に「中川街道」が出来て宿場町として発展。甲州近江肥前の商人たちが活躍
  • 嬬久保の商人たちは中川の新来の商人たちが気に入らなかった

以上、358が教えてくれた嬬久保と中川の商人の歴史