CANALAZZO 21号


CANALAZZO 21号

2006/06/20(火)発行

━━━(1面)【国際】イスパニア・ヴェネツィア連盟軍、ジェノヴァを死守━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

6月18日、3日間にわたったジェノヴァ攻防戦は、ポルトガル・フランス・ネーデルランドの3カ国連合軍(以下、葡連合軍)が戦いを優位に進めるも、イスパニア・ヴェネツィア連盟軍(以下、西連盟軍)は抵抗を諦めず、ジェノヴァ死守に成功した。

「3日間。3日間持ちこたえれば、タベラ枢機卿が教皇庁特使を連れてくる」
開戦当初、サンタ・クルズ候が漏らした言葉である。
およそ5:3という、数的不利の状況下、西連盟軍にとっては、「負けない戦い」をし、粘り強く抵抗し続けることが至上命題となった。
まず、第三国からの傭兵を招き、合わせて領内の商工業者・冒険者に動員をかけ、戦力をかき集めた。
さらに、いくつかの特徴的な戦術策を考案し、迎撃体制を整えた。

考案者の名前から“バルバロッサ”と呼称される作戦は、2個戦隊の密なる連携によって、孤立を防ぎ、包囲殲滅を避ける作戦であった。
戦場の個々彼処で合図の手旗信号が交され、進撃速度をあわせようとする行動がみられた。
この作戦は、一定の効果を上げたものの、彼我の戦力差があまりにも広がった際には、連携する戦隊が各個撃破の対象となったことも否めない。

一方、思わぬ効果を上げたのが、“ティレニア遊撃作戦”である。
主にティレニア海に展開していた葡連合軍別働艦隊に神出鬼没の早業で奇襲をしかける海賊まがいの戦法であったが、レオン・フェレロ提督をして、「討伐隊を差し向けても、するりと逃げられる」といらだたせるだけの戦果をあげた。

この作戦に対応し、葡連合軍が、西連盟軍遊撃部隊を殲滅するために、少なからざる規模の討伐隊を編成。
だが、追い掛け回した挙句、結局、立派な遊兵にしかならなかったことも、西連盟軍に有利に働いた。

最終的にジェノヴァ〜マルセイユ航路、カリアリ〜チュニス航路、サッサリ沖、アルジェ沖、ピサ沖などリグリア海・ティレニア海の各海域で血戦が繰り広げられ、葡連合軍優位のままの休戦にいたったが、ジェノヴァ開城は阻止され、「負けない戦い」という当初の目標を達した、西連盟軍側に勝利感が漂う結果となっている。

━━━(2面)【国際】悪名高き海賊たちが脱獄━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

このたび、悪名高き海賊、レイモンド・ルーレックス(40)、アブドゥル・ハジル・バルサラ(32)、 ヨアヒム・メルクレ(25)の3名が、囚人護送船を奪って、脱獄したことが明らかになった。

この不名誉な事態に各国の責任の擦り付け合いが始まった。
ある国の首脳は、「ロンドン塔にとっとと収監しなかったのが悪い」と非難。
また、別の国の高官は、「囚人過剰でイフ城に収監できなかったのが問題」と騒ぎ、
「カステル・サンタンジェロにこそ閉じ込めるべきだった」と嘆く聖職者もいる。
一方世論には、「なぜすぐに縛り首にしなかったのか」という疑問がくすぶっている。

だが、“高度に政治的な判断”により、普段いがみ合う各国は、共同捕縛作戦を開始。
自国の航海者に対して、恩賞を餌に、協力するよう求めている。
とはいえ、その恩賞の出所が、「捕縛した海賊の財宝」という不確かなもので、国庫からというわけではないので、充分な額になるかは定かではない。

━━━(3面)【政治】市民大集会、開催を再び延期━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

市民大集会事務局はこのたび、6月定例会の開催を23日から、25日に延期することを発表。
理由として、国際指名手配犯の共同捕縛作戦に、市民が多数協力することが予想されるためとしている。