20060413_Koln


(2006年の中日新聞より抜粋)

中日新聞 トヨタの世界 “頂上”への足跡ここに

 今月3日、愛知県豊田市のトヨタスポーツセンターで開かれたトヨタ自動車の入社式。第1体育館のわきでひっそりと建つケルンが今年も、約1900人の新入社員を出迎えた。

 大小約400個の石を積み上げたケルンは高さ3メートルほど。周囲をコンクリートで固め、一つ一つの石に原産地を記したプレートを掲げる。

 「上海」「インド」「アイスランド」…。世界5大陸にまたがる石は、進出した工場や販売店、取引先などから届いた。頂上にあるマッターホルン(4、478メートル)の石は、スイスの販売会社が地元観光局に頼み込み、「トヨタなら」と譲り受けた。

 ケルンの建設は、1987年のトヨタ創立50周年がきっかけ。山登りが好きな従業員でつくる山岳部が「何か記念に残るものを作ろう」と思い立った。

 約20人の部員が休日に手分けして、主に愛知県三河地方の山々を登っては頂上の石を持ち帰った。グループ会社の山岳部員も加わり、節目の100個目が集まったのは2年後の89年。本社の北側に小高くそびえる霊峰、猿投山(629メートル)の石だった。

 ちょうどそのころ、山岳部顧問だった相談役栗岡完爾(69)=当時取締役=が「せっかくだから、世界中の石で作ったらどうだ」と提案した。

 この年、初の欧州進出となる英国工場の建設を発表。前年の88年には初の対米単独進出となったケンタッキー工場が生産を始めた。欧米での拠点設立を機に「三河のトヨタ」から「世界のトヨタ」への脱皮を目指していた。

 栗岡の提案には「世界を意識する従業員になってほしい」との思いが込められていた。若手の一人だった現山岳部長の渡辺順治(53)は「冗談と思った」と振り返る。

 中学を卒業後、トヨタ技能者養成所(現トヨタ工業学園)で腕を磨き、71年に入社。オーストラリア工場で半年ほど働いたが、サラリーマン生活の大半は豊田市内の工場で過ごしていた。山岳部には当時、渡辺のような生産現場の従業員が多く、世界は遠い存在でしかなかった。

 仕事が忙しく海外に行けない山岳部に代わり、海外の石集めは会社が担った。総務部などが世界各地の事務所や工場に協力を呼びかけた。船便で届いたり、出張者が持ち帰ったり。渡辺らは一個一個届く石をながめ、世界を身近に感じた。

 50周年から3年後の90年5月、ケルンが完成した。底辺に山岳部が集めた石を、その上に海外の石を積み上げた。三河を足場に海外へ伸びるトヨタを意識して。

 それから16年。トヨタの海外工場は29カ所から52カ所に増え、世界生産台数は約490万台から倍近くまで急拡大した。生産現場の技術者たちが各国で生産支援や指導に当たり、縁の下の力持ちとして会社の世界展開を支えている。

 今年、米ゼネラル・モーターズ(GM)を抜き世界1位に躍り出ることが確実視されるトヨタ。頂上が間近に迫る中、渡辺はケルンを見上げてこう言う。「これからもわれわれの道しるべになってほしい」 (敬称略)

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