天狗


天狗(てんぐ)

 日本独自の妖怪であり、名称だけであれば『日本書紀』に、舒明天皇の9年(637)2月23日の夜、流星の様なものが見えたとあるのが初見であるが、これは『史記』、『後漢書』、『山海経』などの漢籍に、流星が地に落ちれば狗となるという怪異を「天狗」と呼んでいる事に由来するもので、後述の妖怪たちとは、また別物である。 「天狗」だと指摘したのは旻という僧侶であったが、10世紀に成立した『聖徳太子伝略』では「天狐」と表記されているから、日本では「あまつきつね」と読んだらしい。

 正しい初見は、10世紀前半に成立した『宇津保物語』俊蔭に、
「かく遥かなる山に、誰か物の音調べて遊び居たらん。天狗のするにこそあらめ。」
とあるもので、深山で琴の音をさせる怪異を、「天狗」の仕業としている。
また、11世紀初期に成った『源氏物語』夢の浮橋では、ヒロイン浮舟が、
「ことの心おしはかり思ひ給ふるに、てんぐ、こだまなどのやうのものの、あざむきゐたてまつりけるにやとうけ給はりし」
と診察されているが、彼女は僧侶の霊にたぶらかされていたらしいので、僧侶の霊=ここでいう天狗と判断しても、よさそうである。

11世紀初期に成立した『栄花物語』巻卅六「根合」には、白河に住む天狗が上東門院(藤原彰子)の仏道修行を妨げたとあり、やや後になった『大鏡』には、三条天皇の眼病は、羽根をもった僧侶の霊の仕業だとあるから、要するに天狗というのは、僧侶が死後仏道を妨げる霊となったものであった。

 また羽根をもっていたというが、12世紀半ばに成立した『今昔物語集』や、『中外抄』では、鳶の羽根や嘴を持った僧形の怪物を天狗としており、尼の姿をした天狗の場合は、尼天狗と呼んでいる。
『今昔物語集』巻20−7の中では、文徳天皇の后に取り付いていた狐を封じ込んだ聖人が、后に恋慕して死後魔道に堕ち、
「身裸にして、頭は禿(かむろ ざんばら髪)也。長け八尺許にして、膚の黒き事漆を塗れるが如し。目は鋎(かなまり 金属の椀)を入たるが如くして、口広く開て、剣の如くなる歯生たり。上下に牙を食ひ出したり。赤き裕衣(たうさぎ ふんどし)を掻て、槌を腰に差したり。」
という姿になったというから鬼そのものだが、これを編者が天宮(天狗の当て字)と記しているのも、僧侶が堕落したという点に注目した為であろう。 或いは、狐の方に注目してそう記したのかも知れない。13世紀初期に成立した『愚管抄』の中では、「天狗 狐」、「天狗 地狐」と並称されている。

 天狗は天魔(仏教でいう悪魔)とされ、聖を狂わせたり、美女に憑いて高僧をたぶらかそうとしたり、人に三宝を捨てさせる代りに外術(外道の術)を教えたりしているが、直接人を殺したという話はまず聞かれない辺り、西洋の悪魔よりも大人しい。 中には、鳶の姿で殺されかかっていた時に、助けてもらった事に恩義を感じて外術を使い、相手の望んだ光景を見せた天狗もいた。 竜は蛇に、天狗は鳶の姿に化けて時々遊びに行くが、この時人間に捕まると為す術も無いというのが、『今昔物語集』や、13世紀の『天狗草子』の説である。 しかし、強い天狗がやられるのもおかしいと考えたのか、13世紀初期の『比良山古人霊託』という、天狗の憑いたという女性との会話を記録した書の中では、鳶は天狗の乗物で、人が鳶を殺せるのは、天狗が乗っていない時だけだとしている。

 13世紀になると、天狗について記した史料が一気に増加し、天狗は日本独自のもので、まともな僧侶が死後、うっかり「天狗道」という世界に生まれ変わったのが善天狗、生臭坊主が生まれ変わったのが悪天狗だという『沙石集』の説が出て来る。

 彼らは生前に身につけていた生半可な法力もあって、予知もすれば、人を性転換させる事も出来、今日でいう所の天狗つぶて、天狗笑い、空木倒しを起こし、大火や田楽を楽しむといった行動も見せ、人の世の戦乱に高見の見物をしてみせたと、『平家物語』や『源平盛衰記』などに記されている。 また、僧侶に限らず、皇族や貴族を始め、俗人でも天狗道に堕ちて魔王となるとして、祟徳院 後鳥羽院 後醍醐天皇も天狗になったという『太平記』等の説もある。

 一方で、天狗に対する信仰も起こる様になった。保元の乱で敗死した藤原頼長の日記『台記』によれば、愛宕山には「天公像」があったらしい。
固有名詞としては、13世紀半ばに成立した『源平盛衰記』に、愛宕山太郎坊の名が見えているのが早い例で、14世紀に成立した『義経記』に鞍馬山僧正坊が登場し、以後固有名詞を持った天狗が増加した。 義経が天狗に稽古をつけてもらったという話は、『平治物語』下に、牛若が夜な夜な「天狗 化(バケモノ)の住と云」僧正が谷を通って貴船に参詣していた話から派生したもので、そう古い話ではない。

 『太平記』には、田楽好きの北条高時の前に天狗が現れたとあり、また足利尊氏が猿楽見物をしていたところ、天狗が桟敷を崩したという話もあって、戦乱の続く時代の蔭に、天狗たちが暗躍する様になる。 そして、それまでは半人半鳶だった天狗界に、16世紀になると伎楽面の影響か、鼻高天狗が出現する様になり、近世を通して現在我々が親しんでいる「天狗像」が定着する事となるのである。

ウブメ