ドラゴン


概要

 ドラゴン(Dragon)は、もっとも有名なモンスター。

 西洋の怪物である。

語源

 英語でいうドラゴン(dragon)の語源は直接にはラテン語のドラコーン(dracōn)で、古代ギリシア語のドラコーン(δρακων)にさかのぼる。
ドラコーンは「大蛇」を意味する言葉で、本来は空想的な「ドラゴン」や「竜」といったモンスターのことではなかった。ギリシア語のドラコーンという言葉は「はっきりと見る」という意味のギリシア語デルケスタイ(δερκεσθαι)のアオリスト形語幹ドラク-(δρακ-)に由来するといわれるが、はっきりとしていない。この語源が正しかった場合、ドラコーンという言葉の当初の意味は蛇のするどい視線を強調するものだったと考えられる。  また、「ドラゴン」がインド・ヨーロッパ祖語にさかのぼる、という説もあるが、ギリシア語の借用以外にそれらしき単語が見られるのはアイルランド語だけなので、ほとんど信用されていない。サンスクリットの「ドリグヴェーシャ」が語源であるという説は無根拠である。
 英語の語彙では、ドラゴンよりもドレイクのほうが古い。最古の例は叙事詩『ベーオウルフ?』にドラカ(draca)としてあらわれるものである。ドイツ語のドラッヘ(drache)、古ノルド語のドレキ(dreki)など、ほかのゲルマン諸語もドレイクの系統である。

ドラゴンのイメージ

 一般的には、西洋においてはドラゴンは悪魔や悪そのものの象徴であるとされ、戦闘神や天使たち、聖人や英雄たちが退治するものと相場が決まっていた。そしてこのような特徴はどれも聖なる存在で天空を支配する霊獣である東洋の竜(たとえば日本の竜)とは必ずその善悪の違いが比較され、ひいてはそれが東西文明の差異や独自性を表象するものであるとさえ言われている。

 ドラゴンの外見的なイメージは、現代においても非常に格差があって、これがドラゴンの基本的な要素だ、といえるものはほとんどない。しかし強いて特徴を挙げるとするならば、ドラゴンは爬虫類の体をベースにしており、その種類は蛇やワニであることもあるが、トカゲであることが多い。また、古生物学者によって復元された恐竜のイメージもドラゴンに近いことがある(鋭く生えそろった牙、横に突き出ているのではなくて鳥類や哺乳類のように下にまっすぐ伸びている脚など)。頭には長い角が一本、または複数あることもあれば長い髪に覆われているだけのこともあり、普通の爬虫類のようにつるりとしているだけのこともある。背中からはコウモリのような翼が生えている。この翼がコウモリのように翼手であることもあれば、単なる飾りで前脚とは無関係であることもある。首と尾は蛇のように長いが、首のほうは長くないこともある。尾の先には毒針が付いている。頭は一つ、脚は普通4本で翼も1対であるが、それ以上であることもある。
 口からは毒液や炎を吐き出すが、これは蛇の毒が燃えるように痛いところからきていると言われる。ドラゴンがそのような武器をもって守ろうとしているのは地下の財宝や神々の聖地であり、このような場所を守るのは神々による命令であることもあれば、みずからの欲望のおもむくままにそれらを眺めていたいだけだったりもする。ドラゴン自身が宝石を生み出すこともある。ひとたび財宝が盗まれたり奪われるような事態になると、この怪物は死力を尽くして復讐をする。ドラゴンは一つの町を焼き尽くし、英雄を死に至らしめることさえある。
 また、ドラゴンは東洋の竜のように水とも関係が深い。ドラゴンのその体は川から流れる水をモデルにしたものだとも言われ、水辺に住んでいることもあれば、海に住んでいることもある。海に住んでいるドラゴンは非常に巨大で、頭を複数持つこともある。このレベルのドラゴンは英雄でさえ退治できるようなものではなく、特殊なアイテムを用いて殺すか、神自身が直接手を下して殺す以外になす術はない。
 一般のドラゴンの体躯も巨大である。ドラゴンは並の人間が戦おうとしたところで相手にするような存在ではない。ドラゴンの前ではどんな動物も駄獣だが、伝承によってはグリフィン?パンサー?、象などの架空の動物や巨大な動物が天敵であるともされる。優れた力を持っていたり、神の加護を受けた英雄の前ではさしものドラゴンもかなわない。ドラゴンは馬に乗った騎士のランスで刺し貫かれることもあれば、神の力によっておとなしくされ、町中を引き回された上で集団リンチにあって殺されることもある。

ドラゴンが悪役になった理由

 西洋のドラゴンがマイナスイメージなのは、キリスト教の台頭がその原因にあるといわれている。

 キリスト教以前のヨーロッパやアジアでは、ドラゴンやその原型になった蛇は、大地の象徴であり、生命をうるおす川や泉から流れる水の姿そのものだった。つねに地面に触れながら道を進む蛇の姿は、大地のエネルギーと深い関連があると考えられた。大地は生命力を秘めた、大いなる存在そのものだった。また、蛇が脱皮する姿は若返りを思い起こさせ、ひいては不老不死のイメージへとつながった。無限の産出能力は、蛇やそれと関係づけられる多くのシンボルに特徴的なものである。自然のなかから生命を生み出し育む大地や水は、豊穣の象徴であり、生産、すべての母親であるものであると考えられた。また、死んだものの肉体はすべて土へと還る。世界の根本である生命エネルギーは大地によって誕生させられ、そして大地へと戻るのである。大地から生み出された生命力を維持するのは水だった。生命の物理的な構成の大半を水が占めていることを先史時代の人は知っていた。水の流れ、細く長く、そして尽きることのないイメージは、手足がなく、非常にシンプルな姿をしている蛇を連想させるものだった。
 蛇は、人間というシステムでいうと女性であった。女性は生命力の揺籃という重要なシンボルを媒介として、この神秘的な動物と結び付けられたのである。

 しかし、この水平構造的な「大地の生命力」を基盤とした母系的宗教システムは、社会構造が発達し、経済的な問題にも武力的な紛争解決が優先されてしまうような垂直構造の宗教、動産(おもに牡牛などの牧畜)をその機軸として天上に神ありとする男系の集団によって征服されてしまう。そうして、蛇や、さまざまな諸要素を統合して構成された聖獣ドラゴンは、天上の神々によって退治される悪の存在になってしまうのである。最古の神話が残るバビロニアでは、英雄神マルドゥク?は原初の母竜ティアマト?を殺してそれから天地を創造する。ギリシア神話でも、エキドナ?や髪が蛇のメドゥーサ?デルピュネ?はそれぞれヘラクレス、ペルセウス、アポロンという男性の英雄や神によって成敗される存在になってしまう。
 唯一神しか認めないユダヤ教とキリスト教は、すべてのほかの神々を悪魔として貶めた。そのなかでも、父権的なこれらの宗教において最大の敵だったのは女性神=蛇崇拝である。そこで旧約聖書では、愚かな原初の女性エヴァ?が狡猾であくどい蛇に騙され、無実でなんの落ち度もない男性アダム?を誘って禁断の果実を食べたことにされた。ヤハウェ?はエヴァに、女性は男性に支配されるものだ、と呪いをかけるのである。蛇もまた地をはい、塵を食べ、人間によって踏み潰されるという呪いをかけられる。
 旧約聖書を継承したキリスト教のヨハネの黙示録?では、エヴァを誘惑した蛇とドラゴン、そして神に逆らったサタンは同一視される。このようにして、ドラゴンと蛇は「神の敵」であり、「悪魔」であり、「善に対抗する悪」であり、「最終的には征服される反逆者」であると決め付けられたのである。

 というのが、それなりの解説にある、西洋でドラゴンが悪役になっている理由である。

有名なドラゴン

名前地域簡単な説明
ファーヴニル?北欧財宝を守るドラゴン(もとは小人)。シグルズ?に殺される。
ベーオウルフ?』のドラゴンイギリス財宝を守る火竜。ベーオウルフと相打ちになる。
ヨハネの黙示録?』のドラゴンヨーロッパ7つの頭と10の角があるドラゴン。悪魔。
タラスク?フランス人々を襲っていたドラゴン。聖マルガリタに退治される。
バシリスク?ギリシア毒蛇の王。
サラマンダー?ヨーロッパ炎の中で生きるトカゲ。
ラドン?ギリシア黄金の林檎を守る、100頭のドラゴン。
ヒュドラギリシアレルネ沼に棲む9頭の毒蛇。ヘラクレスに倒される。
ケトス?ギリシア海神の配下である怪物。ペルセウス?によって石にされた。
リントヴルム?ドイツ翼がない、ワーム?型のドラゴン。
ワイヴァーン?イギリス翼があるドラゴン。
ティアマト?バビロニア原初の女ドラゴン。マルドゥク?に殺され、天地になる。
ムシュフシュ?バビロニアマルドゥクの配下にあるドラゴン。
レヴィアタン?ユダヤ教7つの頭の海蛇。ヤハウェ?に倒されて義人たちの食料になる。
ラハブ?ユダヤ教おそらくドラゴンの姿をしている怪物。
アジ・ダハーカ?イラン3頭のドラゴン。悪神アンラ・マンユ?の手下。
エキドナ?ギリシア半蛇半女の怪物。多くのモンスターを生み出す。
テュポン?ギリシア半蛇半男で100の蛇頭の怪物。ゼウスを追いつめるが、倒される。
ヴリトラ?インド水を隠して世界を恐怖にさらすドラゴン。インドラ?に退治される。
ナーガ?インドインドの竜王。
ヴイーヴル?フランス頭や目に宝石があるワーム型ドラゴン。
ミズガルズオルム?北欧世界を取り巻く蛇。トール?と相打ちになる。
ピュトン?ギリシア聖地デルポイを守っていた大蛇。幼いアポロンに殺される。
アポピスエジプト冥界の大蛇。オシリスと毎日戦う。

キリスト教以前のドラゴン

 とはいうものの、史料類を少し見ただけでも、このような「男性-支配」VS「女性-蛇」という二元論が、西アジアからヨーロッパまでの幅広い地域、紀元前3000年から現代に至る超長期間をカバーするには単純すぎる図式であることがわかる。
 ちなみに、以下はあまりファンタジーとは関係ない。

 個々の存在については詳細をそれぞれの項目に任せるとして、ここでは蛇や、蛇の派生形であるドラゴンが神話や宗教信仰でどのような位置を占めていたかを、時代順にごく大雑把に述べていく。

オリエント

 メソポタミアのドラゴンとして最も有名なのは、創世叙事詩『エヌマ・エリシュ?』に登場する原初の女神ティアマト?であるとされる。しかしこの俗説には大きく分けて2つほど問題がある。一つは、『エヌマ・エリシュ』自体がそれほど古い時代のものではないということで、アッシリア学者のジャン・ボテロはこの叙事詩の成立を前1250年より遡るものではないだろうと考えている。もう一つは、ティアマトがドラゴンではないという説が現代の研究者たちの間で通説になっているということである。実際、『エヌマ・エリシュ』には、ティアマトが蛇や竜であるとはどこにも書かれていない。
 しかし、ティアマトの配下にあった11の怪物のうちのいくつかは、確実に蛇をベースにした幻獣であり、そしてシュメールの初期王朝時代にまでさかのぼれるものもいた。とくに有名なのはマルドゥクと関係が深いムシュフシュ?であるが、ほかにも七股の大蛇ムシュマッヘーや毒蛇バシュムもそうである。これらの怪物についての神話は人間の姿をした神々にくらべて少なく、その歴史をたどるには円筒印章などの図像資料も併用しなければならない。
 このような研究の結果見えてくるのは、まず第一にこれらの怪物たちが神々に永続的に敵対する存在ではない、ということである。怪物たちは、最初は反逆するが、神々に敗れて、その従獣となる。たとえば神殿や都市の門に彫られたり(イシュタル門のムシュフシュが有名)、魔除けとして小さな彫像が作られ、アプカルル?のような善性の存在と同時に埋められたりする。そして、第二に、ラフムのように、明らかに水の神エンキと重要なつながりがある怪物*1がティアマト配下でマルドゥクに打ち倒されることからも推測できるように、本来は神々や自然現象のシンボリックな表象であったにすぎない怪物が、人間の姿をした神々の配下になるプロセスを説明するために闘争神話が作成されたのではないか、ということである*2。蛇形態の存在に限れば、シュメール時代の図像から判断すると、明確に神々の敵であるのは多頭蛇のムシュマッヘーくらいのものである。シリアなどにも類例がある「蛇をつかむ男神」や「神々の近くを蛇がうねっている」といった図像は、クノッソスの蛇をつかんだ女神にも見られるように、神々が蛇を退治しているのではなく、蛇の属性を征服し、支配しているものと考えられる。

 古代メソポタミアでは蛇は神々に対立するものではないし、対立するとしてもそれは怪物的な存在とひとまとめにされ、後には神々の重要な従者となるべき存在だった。

 エジプトでもオシリスと対立するアポピスという重要な蛇の怪物が知られているが、王権の象徴にコブラを表現したウラエウスが使われるように、肯定的な意味合いも強かった。

 事情はヘブライ人の間でも同じである。創世記では確かに「もっとも賢い」蛇はヤハウェ?から呪いをかけられ、人類を堕落させた張本人であるとされてはいる。しかし、民数記において荒野をさまようイスラエルの人たちを襲撃するために送り込んだ存在もまた、「炎の蛇」だったし、その害をなくすためにヤハウェがモーセに作らせたのもまた、青銅の蛇だった。人々は、この青銅の蛇を仰ぎ見ることによって毒を中和したのである。ここでは蛇はヤハウェの使いであり、また信仰の象徴でさえある。
 なお、この「炎」の原語はセラーフィームだが、偽ディオニュシオスによる天使の階級?の最高位に位置するセラフィム?と同一の言葉である。「炎」というのは推測される和訳にすぎず、蛇の一種であるという見方もある。これによれば、神に最も近い天使セラフィムは蛇の姿をしているということになる(第一エノク書?は、間接的にこの見解を証明している)。

 カナアンのウガリトから出土した文書によれば、天候神バアルは海の神ヤム?と主権を争い、その過程でヤムの配下「まがりくねる蛇」ロタン(ltn)が現れる。ロタンは7つの頭を持つ蛇であり、ヤム、そして荒れ狂う海の象徴だった。バアルやアナト神はロタンを退治することによって主権を確立した(バアルの場合、次に死神モトとの対決が待ち構えているが)。
 この神話を、表現もほとんどそのまま継承して、旧約聖書にはレヴィアタン?(lwytn)という7頭の蛇がヤハウェの敵として現れる。レヴィアタンの神話を旧約聖書だけから再構成することは難しいが、とにかくヤハウェによって退治される存在らしい。ただし、レヴィアタンも神の被造物であって、海で戯れ、ヤハウェの自慢の種になるだけの存在になってしまっていることが詩篇やヨブ記から読み取れる。

 グノーシス主義?では、ユダヤ教の創世神話へのアンチテーゼから、蛇(とくにエデンの園の蛇)に肯定的な意味合いが付与されることが多い(人類に知恵を与えた、至高の存在からの使いという解釈)。

インド・ヨーロッパ語族のドラゴン

 比較神話学は、インド・ヨーロッパ語族では、戦闘機能の神々や英雄たちに対立する怪物の神話として「三重の存在」がいたのではないか、と考えている。
 この「敵の三重の存在」はたとえば北欧だと「心臓に3つの角を持つ」フルングニル?(VSトール?)、ギリシアだと体が3つあるゲリュオネウス?(VSヘラクレス)、ローマだとカクス?(VSヘルクレス)、インドだと3つの頭のヴィシュヴァルーパ?(VSインドラ?)である。どれも人間の姿をしていて、蛇ではない。
 しかしイランだけは蛇で、3頭のアジ・ダハーカ?(VSスラエータオナ?)が最古の文献からも知られている(イスラム化以降ではザッハーク?VSフェリードゥーン?)。
 また、英雄や戦闘神の主要な敵も、常に蛇の怪物すなわちドラゴンである。北欧だとミズガルズオルム?(VSトール)やファーヴニル?(VSシグルズ?)、ギリシアだとテュポン?(VSゼウス)やピュトン?(VSアポロン)やヒュドラVS(ヘレクレス)やケトス?メドゥーサ?(VSペルセウス?)など、ヒッタイトだとイルルヤンカ?(VS嵐神)、アルメニアだとヴィシャプ?(VS天使?の軍勢)、イランだとアジ・ダハーカに加えアジ・スルワラ?(VSクルサースパ?)、インドだとヴリトラ?(VSインドラ?)などである。
 ここから言えるのは、インド・ヨーロッパ語族は原神話として「蛇の怪物」を敵視していたということと、原神話の時代からそうだったのならば、蛇を中心とした女性型宗教との対立によって蛇の地位が逆転したとは考えにくい、ということである。

『ヨハネの黙示録』のドラゴン

 このような、決して一言では言い表せない蛇やドラゴンの多様な象徴性の伝統の上に、まず、ユダヤ教文書で蛇が悪魔と同一視される事態が起こる(前2世紀ごろ)。
 そして、それをヨハネの黙示録?の作者が受け継いで、次の有名な一節が生まれる。

この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。(12章9節、新共同訳)

 「竜」の原語はドラコーンである。同章3節では、このドラコーンは7つの頭を持つとされ、明らかにウガリトのロタン、旧約のレヴィアタンを連想させる。しかし、そこにはロタンやレヴィアタンが持っていた、海や水の象徴性はどこにもない。このドラコーンは、天から現れ、地上へ落とされる存在である。海というコンテクストから独立して、ドラコーンはそれ自体が悪魔的な存在であるとされるようになった。
 さいわいキリスト教が広まった地域では、頭がたくさんある怪物だとか大きな蛇だとかは敵対視される傾向にあった。この両方の特徴を兼ね備えたヨハネの黙示録のドラコーンは、こうしてキリスト教とともにイメージをさまざまな旧来の諸存在と交錯させながら浸透していくのである。  

関連事項


日本の竜

中国の龍?

ウブメ


*1 ラフムLahmuは、円筒印章などに描かれるときは、大きく3本程度の流れるような毛がある人間の姿で表現されている。この毛は、エンキ(エア)の図像学的に重要な特徴である、「流れる水」をその体表に表現したものだと考えられている。シュメール語ではラハマLahamaだが、これはアッカド語からの借用
*2 ただし、これは実証性がそれほどない仮説に過ぎないことも注記しておく。同様の神話化プロセスはギルガメシュ?叙事詩のフンババ?やアンズー神話のアンズー?にも見られると思われる