イラン神話?
その意味は「知り給う(マズダー)主(アフラ)」。「ガーサー」ではアフラ・マズダーのほかにもマズダー・アフラと呼ばれたり、アフラ、マズダーだけで呼ばれることもある。アフラとマズダーの間に別のいくつかの単語が入って両者が引き離されることもある。
中期ペルシア語(パフラヴィー語)ではオフルマズド(Ōhrmazd)。
なお、前7世紀のバビロニアの神名表にアッサラ・マザシュ(Assara Mazash)という神名が見えるらしい。もしこれがアフラ・マズダーの前身だとすればアスラがアフラに変わる前の時期をかなり特定することができる。とはいえ、現実的には証拠としてはかなり弱い。
ゾロアスター教の世界観によれば、アフラ・マズダーは最高の善であり、最高の存在である。ゾロアスター教の信者たちはアフラ・マズダーの王国に至るために善思・善語・善行の三徳を努力しなければならない。 ガーサーの中では、天則(アシャ?)を選んだスプンタ・マンユ?は善悪に正しい区別をつけたものであって、アフラ・マズダーを満足させるものであるとされる。「不義?」は最終的に破滅し、そのときアフラ・マズダーの道を選んだものは天則の楽園に入ることができるのである。
アフラ・マズダーに捧げられた『オフルマズド・ヤシュト』では、20の別名が挙げられている。
以下にも見るように、アフラ・マズダーは全世界の創造者である(ササン朝になると、アフレマン?も創造したことになったが)。そして、善と悪の存在を超越した(しかし善を正しい選択とする)全知全能者である。この強烈な一神教的な神格はその後のユダヤ・キリスト教にも大きな影響を及ぼしたとされる。
ふつう、善神アフラ・マズダーは悪神アンラ・マンユ?と対抗する存在であり、イランの二元論の主軸であるといわれている。
しかしながら、ザラスシュトラのオリジナルに最も近い「ガーサー」においては、アフラ・マズダーは二元論のさらに上位に君臨する神格だった。「ガーサー」内の思想は、宇宙の法則で天則と訳されるアシャと「虚偽」であるドゥルジが対立する二元論であり、『ヤスナ』第30章(「ガーサー」その3)では次のように語られている。
始原に二霊がいた。両者は「心意」と「言語」と「行為」において、より正善なるものと邪悪なものとであった。 この二霊のあいだに、正見者たちは正しく区別をつけたが、邪見者どもはそうではなかった。 両霊が出会ったとき、これらの霊は、第一世界では義者は生きていけない世界だが、終末には不義者が生きていけなくなる、と定めた。 不義なほうは極悪事を選び、義者のほうであるスプンタ・マンユは天則を選んだ。
なお、アンラ・マンユという名前がガーサーに現れるのは、ここだけである。
ザラスシュトラの考えによれば、アフラ・マズダーから生まれた双子であるスプンタ・マンユとアンラ・マンユは、その自由意思で自分たちの未来を選択した。だから、私たち人間も、神の模倣をして、善か悪かを選択しなければならない。それは神と同じく自由意思によるのだから、人間はかならずしも神の奴隷ではない。
しかし、実際にはアフラ・マズダーは頻繁にスプンタ・マンユと同一視されていた。そういう意味では、善も悪もアシャもドゥルジも生み出したのはアフラ・マズダーだが、善=アシャを選択したのもこの最高神だった、ということになる。
アフラ・マズダーとスプンタ・マンユの同一視はアケメネス朝ペルシアの時代に進行し、そしてズルワーン?教という思想に結実した。ズルワーン教の神話は同時代イランのものは残されていないためギリシアやアルメニアの資料に頼るしかないが(たとえばプルタルコス?、コルブのエズニクなど)、それによれば、原初にズルワーンは双子であるオフルミズド(Ohrmizd)とアフルマン(Ahrman)を生んだとされる。ここでは、アフラ・マズダーとスプンタ・マンユは同一視されるようになったのだが、スプンタ・マンユの格があがるのではなくアフラ・マズダーがアンラ・マンユと同格にまで下がることになり、そしてアフラ・マズダーの空席にズルワーンが収まる、という結果になったのである。
プルタルコスが『エジプト神?イシスとオシリスについて』で述べていることによれば、ホロマゼス(Horomazes=オフルマズド=アフラ・マズダー)とアレイマニオス(Areimanios=アフレマン=アンラ・マンユ)が存在し、片方は善を、片方は悪を創造した。2神の仲介者はミトレス(Mithres=ミスラ?)である。ホロマゼスは6柱の神々(おそらくアムシャ・スプンタ?)を創造したが、アレイマニオスはそれに対抗して同じ数の神を創造した。人々は両方の神に奉献する。しかし、結局はアレイマニオスが完全に滅び、人々は一つになって平和に暮らすことになる。なお、プルタルコスはテオポンポスが悪神のほうをハデスと呼んでいたことを紹介している。
ズルワーン教的な二元論はササン朝を通じてゾロアスター教のメインストリームとなった。中期パフラヴィー語で書かれたゾロアスター教神話のなかでもっとも重要な『ブンダヒシュン?』でも、オフルマズドと6柱のアマフラスパンダーン(Amahraspandān)がアフリマンと6大悪魔に対抗するとされている。しかしながら、『ブンダヒシュン』などでは、オフルマズドとアフリマンの差は歴然と存在している。
歴史的に見ると、アケメネス朝ペルシアの王たちは、必ず碑文にアフラ・マズダー(古代ペルシア語ではアウラマズダーAuramazdāとなる)を刻んでいた。
たとえばダレイオス1世の有名なベヒストゥーン碑文には「アウラマズダーの御意によって余は王である。アウラマズダーは王国を余に授け給うた」とあり、その後も何度も「自分はアウラマズダーのおかげで戦いに勝った」とか「アウラマズダーによって法律を制定した」など書かれている。ほかの明確な神名はない。とはいえアケメネス朝がアウラマズダー一神教だったわけではなく、たとえば同王のペルセポリス碑文gには「アウラマズダーはすべての神々の上にあって最大なるもの」と書かれている。この神は「バガ(Baga)」という言葉で表現されていて、インドのバガ?神に相当する。のちにスラヴ語に伝わってボグ(Bog。「神」)となった。
碑文にほかの神の名前が見えるのはアルタクセルクセス2世(在位 前404-359)あたりからである。たとえば、彼のスサ碑文aなどには「アウラマズダー、アナーヒター?およびミスラの御意によって」として主要三神が並べたてまつられている。
別の碑文(ダレイオス1世のスエズ碑文cなど)にはアウラマズダーの創造神話断片が見られる。それによれば、アウラマズダーは天空を創造し、大地を創造し、人間を創造し、そしてダレイオスを王に据えた。
ザラスシュトラの生存年代をダレイオス1世のあたりに想定する場合、王家の守護神が「アウラマズダー(とその他の神々)」から「アウラマズダー、アナーヒター、ミスラ」に変化する過程は、「ガーサー」においてアフラ・マズダーとアムシャ・スプンタのみが崇拝されていた状況からヤシュトにおいてミスラやアナーヒターを含めたヤザタたちの名前が出てくる過程と一致するとされる。
アケメネス朝の宗教が、以下のヘロドトス?の記すような自然宗教だったのかそれともザラスシュトラの改革した一神教的二元論に基づいたものなのか、の議論は決着がついていない。どちらにしても、アケメネス朝が「ガーサー」と同じレベルで最高神アウラマズダー(アフラ・マズダー)を信仰していたというのは事実である。
当時のギリシア人がペルシアを記した資料にも、アフラ・マズダーのような存在が見られる。
ヘロドトスの『歴史』はおおよそ前445年ごろの状況を記録している。
ペルシア人は天空全体をゼウスと呼んでおり、高山に登ってゼウスに犠牲を捧げて祭るのが彼らの風習である」(第1巻131)
このゼウスはアフラ・マズダーのことであると考えられている。アフラ・マズダーは、ヘロドトスのいうように、日(=ミスラ)やウラニア?(=アナーヒター)などの上に君臨していた。
当時から、ギリシア人やローマ人は異邦の神々を自分たちの神々の名前で呼び、なかば普通名詞のようにして神々のギリシア風・ローマ風解釈を行っていた。
この解釈は完全にギリシア・ローマの名前で呼ばれることもあったが、原名と併記されることもあった。
この併記によってゼウス=アフラ・マズダー説が補強されることがある。たとえば前60年ごろ、コンマゲネのアンティオコス1世が作成した碑文。ここで彼は自らの父系をダレイオスにもとめ、母系をアレクサンドロスに求め、そしてギリシア化されたペルシアの神々を並べている。
ゼウス・オロマスデス(Zeus Oromasdes) アポロン・ミトラス・ヘリオス・ヘルメス(Apollon Mithras Helios Hermes) アルタグネース・ヘラクレス・アレス(Artagnes Herakles Ares) エメ・パトリス・パントトロポス・コンマゲネ(Eme Patris Pantotrophos Kommagene)
ここで天空神・最高神であるゼウスと同一視されている「オロマスデス」は中期ペルシア語化したアフラ・マズダー(オフルマズド)のギリシア語形である。ちなみにミトラスはそのまま太陽神ミスラ、アルタグネスは戦闘神ウルスラグナ?のこと。4番目はコンマゲネの大地そのものであり、おそらくアナーヒターのことだろう。
マズダーという言葉は、ミスラやアパム・ナパート?のような、そのままの形ではインドに見当たらない。
マズダーという言葉と意味的・音的に似ているヴェーダ語はメディラmedhira「賢明なる*2」である。
この言葉はアヴェスター語のmanzdra、古教会スラヴ語のmǫdrŭ、ロシア語のmudryj「賢明なる」と語源が同じであると考えられ、アヴェスター語のMazdā「賢明なる」、およびヴェーダ語のmedhā「知恵」とほぼ一致する。
そしてこのメディラという言葉は、『リグヴェーダ?』ではヴァルナ?に対して使われている言葉である。
そのため、アフラ・マズダーは『リグヴェーダ』におけるヴァルナと同源で、先史時代のインド・イラン宗教における「ヴァルナ」の延長上にある神格である、というのが一般的な説である。
おもな証拠は、まず、イランのアフラ・マズダーはもちろんのこと、インドのヴァルナには強い主権神(宇宙の法則:イランではアシャ、インドではリタ?を支配する天空の最高神)の性格が見られること。
次に、ヴァルナは『リグヴェーダ』のなかで最も多く「アスラ?」と呼ばれている神だが、アフラ・マズダーはその名前からして「アフラ」であるということ。
そして、アヴェスターの中に見られる「ミスラ・アフラ」という複合語が、ヴェーダの中の「ミトラ・ヴァルナ」と性格に重なり合っていること(「ミスラ・アフラ」は詩の韻律が無視されるようになった後の時代に「アフラ・ミスラ」と逆転されるようになる)。
さらに、ヴァルナとミトラの密接な関連は、前1400年にさかのぼるミタンニの条文にも見られること(イラン神話?参照)などが挙げられる。
しかし、別の説もある。
アフラという言葉は、イランではアフラ・マズダー本人とミスラ、そしてアパム・ナパートに対して使われる。
そのため、アパム・ナパートはインドにおけるヴァルナであり(双方とも水に関係が深い)、ゾロアスター教以前のイランではアフラ・マズダーを筆頭とした火のミスラと水のアパム・ナパートの三位一体がアフラの代表神格であったとする(メアリー・ボイスが提唱)。
しかしアフラ・マズダー=ヴァルナ説と比較すると、実証性をかなり欠いているというのは否めない。
どちらにしても、イランの最古の記録ですでにアフラ・マズダーが単独の最高神になっているのは事実であり、本当のところはわからない。
ウブメ