フォリス帝国では戦騎を有効活用する手段として、
半官半民の独立部隊制度を導入した。
それが後にそれぞれの名と旗を掲げ、騎士団と呼ばれるようになった。
大きくは戦騎百機超から、小さくは二〜四機の小隊程度まであり、
その特性も荒事を生業とする傭兵的な色合いが強いものから、
皇帝や財閥等のお抱えである地位と名誉を重んじるものまで多種多様である。
戦騎を中心に、通常は歩兵や戦車、戦闘機や戦闘ヘリを組み合わせて運用される。
その割合は騎士団によってそれぞれであり、サキの率いた二代目アーリーウィングスは、
数機〜十機あまりの戦騎とその補修要員、若干の歩兵のみで構成された。
また騎士団には、特定の基地にどっしりと腰を構える地域密着型の騎士団と、
駐屯地を渡り歩く根なし草のような騎士団の二通りがあった。
初代、二代目ともにアーリーウィングスは後者であり、遠征することも多かったものの、
銀十字騎士団は本来は帝都ヤクーツクのすぐ近くに本拠地を持つ前者であった。
事実、統一戦役においてはジーンの部隊をアジア方面へ、
イマリの部隊を欧米方面へ派兵しているが、
騎士団長であるレオナルド以下の本隊は本拠地に残り、首都防衛に寄与している。
フォリス帝国ではその部隊編成上、原則として士官以上の階級は個人に対してではなく、
騎士団に対して枠として与えられた。
例えばある騎士団には少佐1、大尉1、中尉2、少尉4いう具合である。
この場合は、騎士団長が少佐、副団長が大尉、その他有力者(多くの場合はライダー)
のうち上位6名が中尉、少尉という位を得る。これらは全騎士団共通であり、理論上は、
他の騎士団同士であっても位が上位の者が指揮権を得ることになっていた。
現場においてそう単純に運用されたわけではなかったが、一つの目安としては機能した。
騎士団がより多くの階級を得るには、二つの手段があった。
戦場で武功を立てて朝廷から与えられるか、
規模拡張の申請を行い、受理されるかのいずれかである。
また戦場で大きな被害を出した、規模を縮小した、不祥事を起こした等の理由によって、
一部剥奪されることもあった。全階級の没収は、すなわち騎士団の解散を意味した。
士官のいない騎士団は正式には認可されなかった。
兵士が騎士団を渡り歩く際には階級は付随して移行はせず、
所属していた騎士団での階級を一時返却し、
新しく所属する騎士団での階級を新しく与えられるという手順を踏む。
不始末での異動でもない限り、新しい騎士団では、
以前の騎士団での階級以上の階級を空けて迎え入れるのが通例であった。