【回答】
幕末の人口自体は関ヶ原の時代より増えているけど,江戸初期に増えて,あとはほぼ頭打ち.
江戸初期(元禄くらいまで)は人口も増えたんだけど,それ以降はあまり伸びていない.
wikipedianoの近代以前の日本の人口統計 という項目に研究者の諸説が載っているが,それによれば,1600年頃に元禄頃(1700年頃)約2800から2900万人.
人口が横ばいになり始めた元禄より前は,人口の変化を調べる有力な情報が少なく,関ヶ原の頃の人口が1200万程度という説もあれば,1000万未満説やら1800万ぐらい説やら,入り乱れてる.
太閤検地による全国の土地の評価高が1800万石.
だから戦国終わった頃の人口は1800万くらい……というのが昔の説.
太閤検地期の,とある村の実際の人口が分かってるけど,それによると石高の6〜7割ほどで,じゃあ全国的にそれくらいだったんじゃないかというのが,近年の説.
ただ,石高と実際の人口の両方が分かる土地はそれほど無いので,これを全国に適用できるかは疑問.
(ちなみに江戸時代に入ると,宗門改帳を使ってかなり実際の人口が分かり,それによれば……いつまで増えてたかは分からないけど(元禄か享保かそれくらい),やはり江戸後期は頭打ちになってるって速水融先生が書いてる)
室町時代後半から江戸初期頃までは,寒冷気候の時代で恒常的に飢饉に襲われてたのが,温暖化によって飢饉の少ない安定時代に入った.
それで戦国時代末頃から徐々に人口が増えたのと,江戸時代初期までの大開発時代の影響などで人口が増えた.
まあ,江戸初期の場合,開墾じゃなく治水の方がメインか.
元禄以降も干拓などで,生産力は上がっているし,人口も増えてはいるけど,初期ほどの大きな変化ではない.
それに元禄の頃から,開墾の弊害として,水不足やら洪水やら,災害が起こりやすくなって開墾が制限され始めた.
それで人口が増えにくくなったのではないかな.
つまり,江戸時代を通じて同じようなペースで増えていったわけじゃない.
各大名家の財政は悪化していて,兵士となるような階層(足軽とかの臨時雇用者)の数は,リストラで減っている.
先祖代々持っている装備も旧式化しているので,新たに高価な輸入品を買ったり,技術導入して造る必要がある.
そのためにも,お金がいるんだけど,そのお金が工面できない.
よって,あまり大量の動員が出来なかった.
財政が比較的健全だった薩長などは,その点が他の大名と比べて有利だった.
とはいえ,第1次長州征討では広島へ36藩15万の兵を集結させ,長州へ進軍させている.
【反論】
元禄に増えたのは,それまでおおまかにしかカウントしてこなかったのが,以外に江戸は多い,ということから実質石高の方にシフトして,全国規模にしてしまったから多くみえるだけで,江戸の増加率を全国にあてはまてるのは問題がある.
ただ,長いから中後半には安定や流通から,地方でもかなりの増加はあるだろうし,トータルではやはり江戸期全体で段階的に増えたとするほうが一般的だろう.
後期に頭打ちになるのも,当時の水準ではそこが一種の限界であったわけで,元禄に増えてそこから頭打ち,というのはいろんな意味でちとありえない.
小規模団体ならともかく,100年でほぼ3倍増になるということ自体が,食料,流通,住居,その他の事情からありえないだろうということね.
だから,小さな江戸府内だけなら記録にも残るように,100年で2〜2.5倍になっても,ありそうだけど,それを全国も同じで考えて元禄が一種のピーク,というのはどうだろうかという話.
ただ,これらとは違う話で,人別帳に載らなくてももっと人口自体は多いんじゃないか,という説も確かに強い.
つまり食料があれば,そこまでは増えてもおかしくはないだろうという考え方.
中国なんか今でもそうなんだけど,農村部には戸籍にのらない or のせないという人口もかなり多くて,億に近いんじゃないかというのもあるらしい.
だから江戸期の江戸府内はかなり正確として,地方農村が少ないかどうかは別だろうと言われると,これはこれで難しいが,やはり江戸はいろんな意味で最先端だったから,カウントしてみたら意外と多かった,というだけで,地方も一気に増えたというのは疑問なんだな.