【回答】 一般的な見解だが,全体の8割は生存.士中2番隊の自刃は,出典がかなり不確かで,フィクション性が強い. 「飯盛山の自刃」を証言しているのはお爺さん一人で,確証は一切ない. あと,元服済みで,当時としては少年ではない.
ただし,自刃がフィクションだとしたら,じゃぁ何で死んだのか?という疑問が残る. あの場所で官軍と切り合った訳でも無ければ,瀕死の重傷でたどり着いた訳でもない.
ただ,あの時点で自刃したのだとしたら,それは若さ故の思い込みで先を悲観したからで,その判断自体は間違いだった. 指揮官とはぐれてしまったのが,悲劇を招いた. こういう事はママある.
一方,規模にして会津の1/2以下の二本松は,15歳はすでに正規軍. 13〜14歳の少年隊も編成され,そのすべてが,戦死または負傷して終戦をむかえた. 戦後,若者8割以上が生き残った会津と違って,二本松藩は,若者が戦闘の中で殆ど戦死,又は負傷者になっていて,復興どころじゃなかった.
ちなみに会津藩は,二本松藩からの援軍要請を断ってもいる.