【回答】
日本統一って言っても,4世紀の日本だと東は関東,北は北陸,西は北九州,南は四国あたりまでが大和王権の勢力範囲.
九州南部は異民族の土地みたいなもの.
九州北部にしても,6世紀の筑紫磐井の乱が示すように,在地豪族が強力だったと考えられる.
とは言っても,磐井の鎮圧に向かった上毛野君が,
「一緒に朝廷で働いた,もと同僚じゃないか」
と呼びかけたと書き記されているわけで,少なくとも敵国とか外国というわけではなかったはず.
ただ,朝廷の支配と言えるほどには強く服従していなかっただけで.
統一と呼べるかどうかが微妙な程度には,独立性がある地方豪族達が,大和朝廷の元に,緩やかに連合してまとまってたんじゃないかな.
4世紀と比べて中央集権化が進んでいく飛鳥時代になっても,地方豪族の一部は朝廷で大きな役割を担うことがあって,地方豪族と中央豪族の境目が微妙だったりする.
吉備や紀伊の地方豪族なんかが,奈良時代になっても朝廷で一定の活動をしているし.
ちなみに東北が支配下に入ったと言えるのは,平安時代の田村麻呂の時になる.
また,大和王権は豊臣秀吉のように「日本統一を果たして征服する土地がなくなったから,朝鮮へ進出した」というよりも,朝鮮に任那と呼ばれる日本人居住区や,百済という同盟国があり,救援のために要請されて出兵したんじゃなかったか.
別に朝鮮を切り取って倭国にするという目的ではなかったっぽい.