【回答】
1)
統治システムが未成熟だった.
ほぼ秀吉の独裁.
五大老・五奉行は晩年にできた,システムのできそこない.
2)
引き継ぎができなかった.
秀吉が死ぬ前に,後継者に引き継ぐ事が出来なかった.
秀次に引き継いで,次は秀頼に回せ,と遺言を残すべきであった.
家康が生きているうちに位を譲って後見に回ったのは,秀吉の引き継ぎがうまくできなかったのを,目の当たりにしたから.
【反論】
家康の時代も独裁に近かった.
正直,豊臣秀頼を殺さないうちに家康が没していたら,どうなっていたかわからない.
結局,家康が秀吉と違っていたのは,家康が存命中に嫡孫家光までが生まれていたこと,
家康が秀忠の弟三人に御三家を作らせるなどして,徳川家中枢を固めたこと,
家康の血縁者が非常に多かったこと,
が吉と出た.
(女系やら家臣の子まで,大量に養子や養女にしている)
江戸幕府も統治体制が整ったのは3代家光頃.
家光以降は,ほぼ将軍が幼くても馬鹿殿でも耐えうる幕府体制ができた.