【質問】 合戦をする場所・日時は,両軍あらかじめ決めてあるんですか?


 【質問】
 野戦をする場所とか日時とか,両軍あらかじめ決めてあるんですか?
 なんか,うまいこと敵と遭遇して睨み合いとかになってるんですけど,陣を張って,待ちぼうけを食らったとかないんですか?
 例えば川中島で,同じ場所で何度も睨み合うとか,お互いの都合を考えて示し合わせてるとしか思えないんですが…

 【回答】
 戦略上の重要地点なら,そこで何度にらみ合いになろうと,別になんら不思議はない.  山岳と森林と河川(昔はダムがないから現代の川よりおおむね水が多く,交通の障害になった)が多い日本の地形では,大軍が行動できるルートは限られている.
 敵が行軍してこちらに向かっている,という情報をつかんだら,侵攻ルートはだいたい想定できる.
 いくつかルートがあるとしても,すっぱを放ってどのルートで来るか調べればいい.
 防衛側が籠城ではなく迎撃を選んだ場合,なんとしてもこれ以上は攻め込ませたくない,この辺で敵を防ぎたいという地点がある.
 当然,そんな戦略上の重要地点に布陣して敵を待ちかまえるだろう.

 一方,侵攻してきた側も,敵が出てきたとなれば,野戦でそれを倒し,突破するため,よい場所に布陣する.
 敵の布陣を迂回して進むという手もなくはないが,敵の兵力をそのままにして敵国にあまり深く侵攻しては,本国との連絡を絶たれかねない.
 退くのでなければ,正面から戦うしかない.
 別にわざわざ示し合わせなくても,だいたい両者はどこか適当な場所で必ず対峙することになる.

例えば川中島で,同じ場所で何度も睨み合うとか,お互いの都合を考えて示し合わせてるとしか思えないんですが…

 現代みたいにヘリや航空機などの輸送機関が発達しているわけでもないので,軍隊が移動できるような道は限られます.

 何回も川中島で戦い(正確には睨みあい)が起こったのは,越後から信濃を攻める際のルート上の重要拠点なので,武田軍が予め城を築いて守っていたからです.
 落城する前に,武田側も動員をかけて川中島に救援に向かいます.

 別の道を通って直接越後を攻めようとしても,上杉軍も同じようにルート上に城を築いて警戒しているので,短時間では不可能です.

 また,当時の大名は各地の中小武士達の領地を守るかわりに,兵や年貢を提供して貰うという,一種の契約関係みたいな支配を行っているので,川中島で守っている武士を見殺しにして,越後を占領出来たとしても,他の武士達が協力しなくなり,大名権力自体が崩壊してしまいます.

日本史板,2011/11/21(月)

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