桓武天皇の東北支配について教えてください. なぜ東北支配に力を入れたのかを調べたのですが,分からなくなりました. 自分ではというか,何かで見たのですが, 墾田永年私財法で口分田が自由に手に入るように →土地足りなくなる →新たな土地を開拓するために東北支配を狙う という流れかと思っていました.
しかし色々と調べてみると,平安京から見て東北側が不吉なために蝦夷を討伐しようとした,という説をいくつか見ました. どちらがより正しいのでしょうか? 中学生に教えるなら,どちらで教えるのがより妥当なのでしょうか.
【回答】 当時の奥州では,伊治呰麻呂の乱(780年)以降,反乱が続いていたんだから,鎮圧するのは当然. 呰麻呂の乱の頃は,多賀城辺りまでしか支配が及ばなかったし,その支配力も十分なものでは無かった. だから,多賀城周辺の豪族である呰麻呂の反乱で,あっさりと多賀城が落ちる事態となり,朝廷の権威は失墜した. それが呼び水となって,各地で蝦夷の反乱が起きた. これを放置すれば,勢いに乗った蝦夷が南下してくる可能性だってある. やがて,蝦夷方には英雄・阿弖流為が現れ,征夷大将軍田村麻呂がこれを制圧するのに,802年まで掛かった.