【質問】 鎌倉時代には,律令制は完全に名ばかりのものになっていたのでしょうか?


 【質問】 鎌倉時代に入って,武士がそれまでの公家に代わって,日本を統治するようになったと思いますが,その頃の公家には既に,全国を実際に統治する実務的能力は無くなってしまっていたのでしょうか?

 律令制は完全に名ばかりのものになって,公家も儀式だか書類の決済だかしか出来なくなっていたのでしょうか?

 【回答】 「鎌倉時代に入って,武士がそれまでの公家に代わって,日本を統治するようになった」 という話が通用したのは,20世紀半ば頃の話らしいですよ.

 鎌倉幕府が支配したのは,東国武士を主体とする御家人達だけで,それ以外の武士とか,武士以外の人々を支配したわけではありません.  鎌倉幕府の威光は,西国には届かなかったらしいです.  どんなに贔屓目に見ても,鎌倉幕府が全国支配をしたと言えるのは,元寇における非常事態を口実に,幕府が総動員をかけられる体制が取れるようになってから.  しかも,それもなし崩し的だったから,今まで幕府の支配を受けていなかった武士や領主たちの反感が強く,討幕勢力の一要素となった.

 律令制そのものは,細部で様々な変質をしつつも,生き残っては居ます.  武士の世になっても,律令制度自体は廃止になっていなかったので,たとえば朝廷が派遣する国司はずっと任命されていました.  しかし,平安時代末期の院政期には,国司が実際には任地へ赴かないなど形骸化し,鎌倉時代の関東では,守護地頭の台頭により税金を集められない事態となり,室町時代以降は赴任しない,名誉職のようなものになってしまいました.

 関東諸国のうち1/3ぐらいにあたる国では,幕府有力者が国司となることが予約済みで,幕府からの申請で国司任命される制度となっていました.  ということは逆に,幕府にとっても国司の地位は魅力的だったとも言えます.  また,鎌倉時代には,幕府に職制は守護にせよ地頭にせよ,幕府によって臨時で作られた特殊制度で,律令によって公的に設置されたとは認定されていませんでしたが,建武政権が国司と守護を併設した結果,守護という職務も律令のうちと(令外官の一種と)認定されるようになったのか,鎌倉時代よりも守護の権限が大幅拡大しました.  その結果,多くの国で,国司が守護に職務代行を頼む(もちろん,高額の手数料が発生する,ようなものです)「守護請け」が普及しています. (守護請けが早くに行われた例は,鎌倉時代末期にも見られますが,普及はしていません.)

 律令官制を積極的に否定する動きが明確に打ち出されたのは,戦国時代の「分国法」が最初と言った方が適切でしょう.  今川仮名目録などが,この点では代表格でしょうか?

 戦国大名には,実際に朝廷から官位を受けてなくても,○○守を称する者までいました.

 実際に国司が完全に廃止されたのは,明治維新の時です.

日本史板,2011/06/12(日)〜06/13(月) 青文字:加筆改修部分

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