【回答】
〈暗殺〉
公式に天皇暗殺が記録(認定)されているのは,第20代・安康天皇と第32代・崇峻天皇の2人.
安康天皇を暗殺した眉輪王は皇族.
崇峻天皇を暗殺した東漢直駒は蘇我家臣.
〈暗殺説〉
真偽をめぐって,最も「毒殺による暗殺説」が囁かれ続けているのは,第121代・孝明天皇.
〈暗殺未遂の記録〉
暗殺未遂が記録されている天皇は,
・皇后に殺されそうになった第11代・垂仁天皇
・勘違いの嫉妬で矢を射掛けられて袖を突き通され,さらに別の矢で従者を射殺された,第65代・花山天皇(当時は退位して花山法皇)
・第92代・伏見天皇が,宮中に乱入した甲斐源氏浅原為頼の一族に,命を狙われかけ,女装して御所から脱出.
・昭和天皇も1923年12月27日,車の外の至近距離から銃撃され,1932年1月8日に手榴弾を投げられたが,いずれも逸れたりして難をのがれた.
〈欧米解釈なら暗殺?〉
8歳の第81代・安徳天皇は,壇ノ浦の合戦で二位尼時子に抱かれて入水し崩御したが,無理心中などの概念が理解されにくい欧米なら,天皇が幼子でもあり,もしかしたら二位尼時子の天皇殺害・兼自殺と解釈されるかもしれない.
〈自殺〉
公式に記録されているのは,上記の安徳天皇の入水自殺.
あと,日本書記にも天皇即位の記録は見られないが,先帝天智天皇の皇太子だった大友皇子が,壬申の乱で敗れ自ら首をくくって自決.
(明治時代になって,第39代・弘文天皇として,歴代天皇に加えられる)
〈不審死・事故死〉
第14代・仲哀天皇は古事記によれば,暗所での神託内容を侮辱して,神の怒りを買い,その場で呪い殺された.
日本書記によれば,神託無視の後日,俄に体調を崩し崩御.
また,一説には,熊襲の矢に当たって崩御したとも.
第87代・四条天皇は,御所の廊下にろう石を塗り,人が転ぶのを見るといういたずらをしていた所,自ら転倒して大怪我し,それが原因で12歳で崩御.
第60代・醍醐天皇は,清涼殿に落雷して5人が即死した衝撃等で,俄に体調を崩し崩御.
落雷も天皇崩御も,菅原道真の怨霊のせいだと囁かれた.
その他にも島流し,幽閉,追放,不遇な待遇などによる,緩かな衰弱死や憤死も疑われる天皇も多数(孝徳,崇徳,後鳥羽など)
以上,実際に実行に移されて命の危険があったと認められる,極めて危ういケースだけをあげました.
実際は実行にまで移されなかった,天皇に対する謀反計画,暗殺計画を全て入れたら正直,もうキリがないんじゃないんでしょうか.
たとえば今上天皇に火炎瓶が投げこまれて,近くで可燃物が炎上した事もありましたが,これも一歩間違えば大変危険な状況といえるでしょうが,独自判断で殺人未遂には含めず,傷害未遂と判断して除外しました.
計画だけなら少し前のオウ○とか,過激カルト教団,極左過激活動家,精神破綻妄想者も,今現在でも幾らでもあるんじゃないですかね.
外国からも狙われてるでしょうし.
もしかしたら,誰からも殺したいと思われた事がない天皇というのは,歴史上いないかも知れません.