【回答】
砲が「戦場の女王」でいられたのは,榴散弾直射による歩兵殺傷力によるところが大きい.
しかしこれが,後装式ライフルや機関銃の登場によって変化する.
直射距離だと,銃弾の命中精度や射撃速度や門数の差によって,砲兵が薙ぎ倒されてしまうようになったのだ.
つまり日露戦はちょうど過渡期にあったわけで,それ以前の戦訓に習うなら,榴散弾片重は当然の選択であり,中央の方針を責めるのはちと酷な話だと思う.
べき論で言えば,戦時中に方針転換すべきではあるのだが,当時の日本の工業力を考えると突然,砲弾生産の種別を変える,というのは困難すぎる課題であろう.
【反論】
あいや,待たれい.
直射するブドウ弾の類じゃなくて,榴散弾って空中で炸裂して子弾を降らせるやつの話.
ついでに,19世紀後半に旋条・後装化された小銃の射程が向上して〈2000位になってた〉,野砲がやばくなるけど,これも小銃に遅れて旋条・後装化したことで射程を伸ばした(5000位らしい)ので,小銃に追いつかれるか?だったのは,前装砲と後装小銃の間での話かと思う.
機関銃は,出て来るのはもうちょっと後だと.
弾の話は,大体開戦半年ぐらいで外注頼りになってるから,
(南山で生産3ヶ月分・事前見積の半年分を,2日で撃っちゃったそうだ.
余談だが,小銃弾の方でも得利寺で弾無くて,石投げたって話があったそうな)
生産体制変えられなくても,発注内容を変えれば良い話だと思う.
しかも,戦後に「砲兵使えない」って話になってるのは,問題自体意識されてなかったのではないかと.
以上,大方前掲書の引き写し.
まあ,こんな話もあるって事で.
もう15年位前の本だから,最近は新たな発見なり見解なりもあるかもしれないし.
んだから,要塞相手とか考えると,榴散弾使わざるを得ない陸軍の野砲より,あの時代の艦艇相手に使う海軍の砲のが,弾的にも効いたんじゃないかと思う.
少なくとも榴散弾ではないだろうし(徹甲榴弾になるのか?).