人物紹介 / 姜維


姜維

諸葛亮亡き後の蜀にあって、蜀漢の国是であった漢王朝復興のため最後まで戦い続けた武将。

元は魏の武将であり諸葛亮の北伐に対抗する立場であったのだが、
出身地である天水太守の馬遵に内通を疑われたことや、冀県でも入城を拒否されたことで行き場を失い、止む無く蜀に降伏。
その後は諸葛亮の指揮下で北伐に参加する立場となる。
その後の印象は、三国志に多い演義と正史で大きくわかれる人物。

演義では諸葛亮の後継者という設定が追加され、諸葛亮没後の蜀の中心人物となっている。
出会いの場面からして、馬遵に内通を疑われたのは諸葛亮が姜維の才能に惚れこみ自陣営に引き込むための策略という事になり、
更には趙雲と互角の一騎打ちを繰り広げるなど、最初から鳴り物入いで登場。
その後も馬謖亡き後の諸葛亮の後継者として扱われ、物語終盤に蜀が衰退するなか孤軍奮闘する様子が描かれる。
三国志演義は敗者である蜀を中心に描かれ判官贔屓な一面が強いが、彼はそれを象徴するような立場となる。
そのためか、終盤に登場する武将ながらも、三国志の登場人物で一番好きな人物に彼を挙げる三国志ファンも多い。

一方、正史では特に諸葛亮と特別な師弟関係がある様子は存在しない。
軍事トップの大将軍職を後継したのは蒋琬、その後任も費禕であり、姜維が大将軍職に就くのは15年も先の話である。
姜維の立場は長年、征西将軍・涼州刺史という肩書であり、これは魏延と全く同じ。
大将軍職の方針に従う、軍部ナンバー2の前線実務指揮官という立場が正確であったようだ。
また247年には政治トップの録尚書事に就くが、同職には2~3人就くのが通例であり、実際に政治を主導していたのは先任の費禕と思われる。
その後も長年軍権を握っていた費禕が
「亡き丞相(諸葛亮)でさえ北伐を成し遂げられなかったのだから、それよりも劣る我々には無理だ」
という方針で姜維に大軍を与えなかったこともあり、小規模な北部侵攻を繰り返していた。

しかし費禕が暗殺されると状況が一変。
軍権を任された姜維は大々的に北伐を開始、魏の王経相手に数万を討ち取るなど複数の大勝を収めている。
その功績で大将軍職に昇進し、録尚書事も引き続き兼任していたため、この時点でかつての諸葛亮に近い立場へと昇格した。
しかし艾が対蜀戦線に表れると状況は膠着、遂には段谷の戦いで、蜀漢の歴史上かの夷陵の戦いに次ぐほどの大損害を出す敗北に見舞われる。
その後も諸葛誕の反乱に乗じようとするなど精力的に動くが大きな結果は出せず、徐々に蜀内部で姜維に対する不満、北伐への不支持意見が広がっていった。
そして朝廷内で数少ない北伐推進派だった陳祗が没すると完全に孤立してしまう。

263年、遂に魏が本格的な蜀討伐の軍を起こすと、姜維は要害・剣閣を盾に魏軍本隊を見事に抑え込むも、
自身が鍾会と対峙している間に艾の別動隊が成都に迫り劉禅が降伏。
やむなく鍾会に降るが、鍾会の野心を見抜くと反逆を唆し、艾を反逆者として処断したうえで魏に反乱を起こす。
しかしこの反乱も、胡烈・胡淵らによって阻止されて失敗。命運尽きて鍾会や妻子とともに処刑された。
享年63。蜀に降ってから既に35年が経過していた。
この時に魏の兵士が姜維の身体を切り裂いたところ、その肝が一升桝ほどもある巨大なものだったという逸話が残っている

演義の影響か諸葛亮と比較されやすく、その際に内政を省みなかった点がよく指摘されるが、
上記のように、丞相という軍務・政務の両方を統括する立場だった諸葛亮と違い、姜維は長年、軍部指導者にすぎなかったのである。
主に漢中方面へ駐屯し、また魏からの降将である彼には成都の中央政権への影響力は乏しく、良くも悪くも朝政への関与は難しかった。
もちろん、軍事行動の失敗という意味では責任は逃れられず、強引な北伐で周囲からの信用を失ったことも事実ではあるが、
彼が政治でそれをカバーできる立場に無かったのも事実である。
例えば、漢は全権を担った曹操によって形骸化されたのちに簒奪、魏は同じく司馬一族に簒奪されている。
同様に、臣下の立場でありながら軍・政の全権を諸葛亮一人が担っていた状況のほうが非常の体制であり、
政治・軍部に別々の人物を立てていた、蒋琬〜姜維の時代の方が本来の形である。

そんな彼の武官としての才幹評価を抜き出してみると、当時の敵陣営である艾、鍾会などをはじめ
魏の人間も彼を警戒すべき指揮官、当世の英雄の一人と評しており、
軍事面での才能のみならず、人格面でも非常に優れ、その清廉潔白ぶりを称えていた者も多い。
北伐を強行した理由としても、その頃の魏も曹叡の死後幼帝を傀儡とした政権が政変や反乱などを繰り返し
司馬一族が皇帝を飲み込みかけている寸前であり決して磐石ではなかったため、反抗するタイミングとしては一概に愚策とも言えない。
そもそも北伐は蜀の国是であり、それを大義として民に非常に重い兵役を強いていた。
北伐は蜀という国家の体裁を保つためには必要な行動だったとも言える。

姜維の不幸は、朝政に有能な人物が少なくなっており、彼らとの連携が蜀滅亡まで図れなかったという点であろうか。
将としては非凡な才を持っていたが、演義で自らが押し付けられた「諸葛亮の後任たる文官」が不足していたがゆえに
国としても破れ、姜維自身も反乱計画の中で最期を迎えてしまったというのは皮肉な結末である。


白井恵理子の「STOP劉備くん!」では蜀の武将の中で一番若いためか、蜀の気風に馴染んで「孔明恋しさに夜泣きする」「携帯電話・携帯ゲーム機が手放せず携帯電話が通じなくなると泣き出す」など、「今時の若者というかお子様」キャラとして描かれている。
最初のうちは柴田錬三郎版三国志での姜維が元となっていた(魏からの刺客で孔明を暗殺しようとしたが、孔明の人柄に惹かれ彼の配下に)のだが、携帯ゲーム機が主流となって以降はお子様なキャラクターとなるあたり、連載の長さと現実の流行はどういう風にキャラを変遷させるかわからない事を現している(?)

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