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大ヒ熊教授の実力テスト > クマでもわかる!小論文講座
http://www.asahiguma.com/seminar/essey/base.html 小論文とは何だろう?また、小論文はどのように書けばよいのだろう?小論文を書く前に、まずこの2つの疑問について考えてみるクマ。「小論文の書き方」がわかれば、キミも自信を持って小論文が書けるようになること間違いなしだ。
小論文とは、問われていることに対して「自分自身の考え」と、「そう考える理由」を筋道立てて述べ、読み手を説得するための文章である。
論の構成を考える前に押さえることは、「結論を決める。そして、結論に至る論理を洗い出す」ことである。次に、論の構成を考えるわけだが、最も一般的なものは、
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自分の意見が決まったら、自分の主張に対する反対意見を考慮し、具体的な根拠を挙げて反論するとよい。また、適切な具体例を挙げて、抽象的になりすぎないように工夫するクマ。
私たちの身のまわりには、カタカナ語があふれている。その中には、日本語で表現できるものをカタカナ語によって表現しているだけのものも多い。筆者の指摘しているとおり、「誰にも即座にわかる話を、わざわざカタカナ語を多用してわかりにくく」しているのである。先日も、政治家がテレビ番組で「政策のプライオリティーについての、アカウンタビリティーを果たす責任がある」と発言していた。「政策の優先順位について、国民に説明する責任がある」と言えば、よくわかる。悪意はないのかもしれないが、何かごまかされているような気がしてならない。
カタカナ語は、円滑なコミュニケーションの妨げにもなっている。新しく入ってくる大量のカタカナ語は、一般の人にはなじみのないことが多い。また、カタカナ語は漢字に比べて意味を推測することが難しい。
カタカナ語が多用される背景には、外国から入ってくるものをもてはやす日本の風潮が挙げられるであろう。特に、欧米の文化への憧れから、英語やフランス語などに由来するカタカナ語はおしゃれな響きがしたり、専門的で新しいと感じられたりする傾向がある。例えば、「運動選手」より「アスリート」、「共同制作」より「コラボレーション」の方が格好よく感じられるという人は多いだろう。しかし、言葉が表面的に感覚で選ばれ、本質的な意味を理解しないまま使われていることは、問題である。
私たちは、安易に外国語をカタカナにして取り入れるのではなく、できるだけ日本語に変換するという努力をするべきである。もともと日本語にない概念の語を表現するのは難しいかもしれないが、過去にも「民主主義」「社会」などのすばらしい翻訳例がある。外国語を深く理解した上で日本語に変換することで、より日本語が豊かになると考える。
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