歴史


歴史

ここではハードコアの歴史について説明する。

ハードコアにおける世界初の曲は「Mescalinum United(メスカリナム・ユナイテッド) - We Have Arrived」(1990年リリース)と考えられている。概要ではハードコアはオランダが発祥と記したが、この曲のアーティストはドイツ人である。リリースしたレーベルも同じく。

初期のオランダでのハードコアは、暗い雰囲気、実験的、そしてハードと調和させたテクノとインダストリアルを融合したものであった。オランダの初期ハードコアトラックの一つとしてメジャーヒットとなった「Rotterdam Termination Source(ロッテルダム・ターミネーション・ソース) - Poing」(1992年リリース)がある。こちらは世界初のハードコアレーベル、ロッテルダム・レコーズからのリリースである。その親レーベルミッドタウン・レコーズの、ロッテルダムにあるレコードショップはガバミュージックの王道として知られるようになった。

1990年代初期、当時のハードコアはアシッドかテクノ寄りのサウンドであったが*1、ノイズと騒音まみれの強烈なサウンドに成し遂げていった。ドイツ・フランクフルトのレーベルプラネットコア・プロダクションズ(マーク・アカーディペインAKAメスカリナム・ユナイテッドによって創立)とオランダ・ロッテルダムのレーベル、ロッテルダム・レコーズ(ポール・エルスタックによって創立)は、アメリカ・ニューヨークのレーベル、インダストリアル・ストレングス(レニー・ディーによって創立)がハードコアサウンドをアメリカ全土と同時に、ヨーロッパ中に促進した*2

1990年代半ばのフリーフェスティバル・シーンでは、Spiral TribeNetwork 23といった注目すべきハードコアテクノを生み出したヨーロッパでのアンダーグラウンドなテクノイベントの集大成を表していた。しかし、それぞれの国が徐々にパーティの来場客をブロックし、ハードコアシーンはその破壊的な音楽を通じて現状の痛烈な政治批判のときのみフランスとオランダで生き残っていき、シーンは衰退を余儀なくされた。

その末、2002年にはオランダでそのスタイルは再び人気を出し始め、今までのハードコアより発達し、ダークで、インダストリアルなサウンドとなった。それを把握していた世界と音楽は進化し、デジタルハードコアからブレイクコアへ、ノイズコアからスピードコアへと共に近づいていき、新しいサブジャンルが出来上がっていった。ドイツのレーベル、Ant-ZenHandsのようなインダストリアルおよびエクスペリメンタル系のレーベルはハードコアおよびガバの要素を抜き出し、今日ダークコアと呼ばれるジャンルに近づいていった。それはまるでハッピーハードコア時代を見過ごしたかのようであった。そしてハードコアは2002年以前のオールドスクールから進化し続け、インダストリアルの過酷さを維持し、ほかのその多様性と才能のある様々なアーティストによって、電子音楽の中で細分化されたジャンルの中で今最も人気のスタイルに近づけていった。

ハードコアは今も進化し続けている。各々の違うタイプのハードコア*3はプロデューサーのサポートを受けながらも、多くのファン層を魅了し始めている。

(自分なりに意訳していますが、まだ直訳で読みずらいところ、間違っているところも多々あります。できれば協力お願いします…)






引用元サイト Hardcore History


*1 当時ベルギーで流行っていたニュービートやアメリカのテクノユニット、アンダーグラウンドレジスタンスの一部の曲を含む
*2 特にデルタ9(アメリカのDJ)に代表されるシカゴや、アメリカ・ミルウォーキーのレーベルドロップベースネットワークに代表されるミルウォーキー全体のハードコア界の発達がきっかけとなっている
*3 または各々のサブジャンル