【質問】
 wikipediaでハルノートを調べたのですが,それによると,日本の真珠湾攻撃部隊は,ハルノートが日本に提出される前に,既にハワイに向けて出撃していたし,陸軍も南方戦に向けて軍の再編成を行っていた.
 日米の歴史家では,日本はハルノートは一切関係なく,アメリカと戦争をするのを決めていた,というのが有力であり,日本の教科書でも日米戦の項目に,ハルノートの記述がないものがある,「ハルノートによって日本がアメリカとの戦争をせざるをえなくなったと主張するものは,広義の陰謀論者だ」とも書かれてあったのですが,私は今までハルノートによって日本は対米戦を決めたと思ったのですが,そうではないとすると,日本は何時アメリカと戦争をすると決めたのでしょうか?

 【回答】
1941/08/01 米,対日石油輸出を禁止
1941/10/18 東条内閣発足
1941/11/05 御前会議にて12/01午前0時までに交渉がまとまらない場合,開戦することを決定
1941/11/24 作戦に従事する一般兵に真珠湾攻撃作戦を通知
1941/11/26 日,機動艦隊が択捉島単冠湾を出港ハル・ノート提示
1941/12/01 御前会議にて開戦を決定
1941/12/02 「ニイタカヤマノボレ1208」海軍,真珠湾攻撃開始を8日と下命 「ヒノデハヤマガタトス」陸軍,マレー攻撃作戦を8日と下命
1941/12/08 開戦,マレー半島攻撃,真珠湾攻撃

 源田実の回想録によると,国際情勢の緊張が高まる中,山本五十六によりハワイ攻撃作戦として,
「第一・第二航空戦隊が全力で片道攻撃を仕掛け,敵戦艦群の壊滅を計る」
という第1案が同氏に伝えられたのが,1941年2月初旬.
 研究・検討後,計画書として仕上げられたのが4月初旬,
 作戦立案と同時に実戦部隊での猛訓練が平行して行われ,現場指揮官級に真珠湾作戦の概要が伝えられたのが10月7日,
 軍令部が作戦承認したのが10月19日.

 一方で,山本五十六は12月に入っても,交渉成立の望みを捨ててはいないと周囲にもらしている.
 少なくとも交渉と武力行使の両案が同時進行されているので,作戦準備の開始日時だけをもって,ハルノート等最終期の交渉意義を全否定するのは強引すぎる.

軍事板,2010/11/25(木)

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